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禅院寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
禅院寺
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'''禅院寺'''(ぜんいんじ)は、[[飛鳥]]・[[平城京]]にあった[[古代寺院]]。[[元興寺]]([[飛鳥寺]])の別院。日本[[禅宗]]の最初の道場といわれる。 平城京では右京四条一坊にあったとされ、跡地は現在の市立都跡小学校の北側辺りと推定されている。'''元興寺禅院'''、'''元興寺東南禅院'''とも。[[元興寺関連旧跡]]。 == 歴史 == ===創建=== [[道昭]]が帰国後の天智天皇元年(662)3月に[[飛鳥寺]]の東南隅に創建。唐から請来した仏舎利や仏典を収蔵し、禅定の道場とした。道昭は二祖[[慧可]]法孫の慧満から学んだ禅をここで修したという。 禅院寺の名は[[薬師寺]]の「仏足石記」に記録がある。 本寺に先駆け、和銅4年(711)8月、飛鳥から平城京に移転。[[唐招提寺]]や[[済恩院]]の北側に位置した。その後も大量の優れた経典を持つ寺院として尊重され、『延喜式』には禅院寺の経典の曝涼について規定されている。平城京移転後、元興寺から独立していたが、元慶元年(877)12月、再び元興寺別院となる。のち廃絶。[[興福寺禅定院|禅定院]]が後身ともいう。 ===発掘=== 飛鳥の禅院寺跡は昭和54年(1979)に遺構が発見された。 (国史大辞典) ==資料== ===古典籍=== *『日本霊異記』 ===文献=== *松平年一1929「元興寺の禅院と道昭の将来経」『現代仏教』62 *堀池春峰1952「平城右京禅院寺と奈良時代仏教」『仏教史学』2-4[http://tripitaka.l.u-tokyo.ac.jp/INBUDS/search.php?m=trdd&usid=157803&a=] *藤野道生1957「道昭和尚の帰朝と禅院の創建」『日本仏教史』2[http://ci.nii.ac.jp/naid/40003024560] *藤野道生1957「禅院寺考」『史学雑誌』66-9[http://ci.nii.ac.jp/naid/40001510958/] *岩城隆利1980「禅院寺 内典の図書館 」『ビブリア 天理図書館報』74[http://ci.nii.ac.jp/naid/40003270329/] *三崎裕子1991「奈良時代における禅院の機能と性格」『史論』44[http://ci.nii.ac.jp/naid/110007164192] *福山敏男1948「禅院寺」『奈良朝寺院の研究』 *岡玄雄1966「南都の禅院について」『龍谷史壇』56・57 [[category:奈良県]]
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