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出羽・寂光寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
出羽・寂光寺
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'''寂光寺'''(じゃっこうじ)は、出羽国田川郡にあった[[出羽三山]]・[[羽黒山]]の[[天台宗]]寺院。(参考:同名寺院[[寂光寺]]) == 組織 == ===羽黒山執行=== 別当を兼ねるときもある。 *[[蜂子皇子]](562-641):[[崇峻天皇]]皇子。 *弘俊:蜂子皇子の弟子。皇極天皇1年に初代執行になったとされる。尊法坊と号す。 *忍慶: *行善: *直酋: *源慶: *行覚: *弘弁: *秀慶: *宗祐: *覚俊: *行栄: *良弁: *行栄: *行承: *明春: *宗慶: *盛慶: *了覚: *乗円: *承宗: *隆快: *禅盛: *盛煕: *常久: *長豪: *金薩: *広宗: *長豪: *盛酋: *泉慶: *重盛: *慶善: *慶宗: *宗春: *永泉: *蔵賢: *慶海: *盛永: *永慶: *慶尊: *永慶:再任? *慶俊:光明院。 *元慶:薩曼坊。 *源慶: *尊良: *慶俊:再任? *宥源(-1617)<-1617>: *源慶(-1618)<1617-1618>: *宥俊(1573-1661)<1618-1661>: *天宥(-1674)<1661-1668>:中興。初名は宥誉。[[天海]]の弟子となり、[[天台宗]]に改宗。1668年(寛文8年)流罪。 ===羽黒山別当=== *1668年(寛文8年)から輪王寺宮の命で任命され、別当または別当代が執行を兼務。 *天宥まで、島津伝道「羽黒山修験道要略」より。源慶のみ「出羽三山史年表」から。 *天宥から官田まで戸川安章「出羽三山史年表」より {|class="wikitable" |+ !style="width:5%;"|歴代 !style="width:10%;"|別当 !style="width:5%;"|別当代 !style="width:10%;"|生没年 !style="width:10%;"|在職年 !style="width:10%;"|号 !style="width:40%;"|備考 |- |52 |圭海 | | |1668-1675 |尊重院 |宝樹院(徳川家綱の生母)の弟という。元は日蓮宗僧侶という。毘沙門堂公海の弟子。浄円院に住す。愛宕山長床坊に転じる。 |- | |(圭海) |圭純 | |1668-1675 |円鏡院 |「出羽三山史年表」には記載なし。 |- |53 |(輪王寺宮) |実胤 |?-1677 |1675-1677 |寿命院 | |- |54 |(輪王寺宮) |円海 | |1677-1677 |明光院 | |- |55 |胤海 | | |1677-1682 |凌雲院 |寛永寺学頭。寛永寺凌雲院。「別当別当代一覧」では1678年(延宝6年)就任。 |- | |(胤海) |周海 | | |惣持院 |「出羽三山史年表」には記載ないが「別当別当代一覧」では1678年(延宝6年)就任の別当代とする。 |- |56 |(輪王寺宮) |良諶 | |1683-1684 |覚前院 | |- |57 |公雄 | | |1684-1691 |円覚院 |「別当別当代一覧」では1689年(元禄2年)退任のように記す。 |- | |(公雄・義天) |照寂 | |1684-1692 |和合院 | |- |58 |義天 | | |1691-1699 |仏項院 |「別当別当代一覧」では1692年(元禄5年)就任。 |- | |(義天) |光海 | |1692-1699 |心地院 | |- |59 |智舟 | | |1699-1705 |願王院 |「別当別当代一覧」では「智周」とする。 |- | |(智舟) |存海 | |1699-1705 |理善院 |「別当別当代一覧」では「祐存」とする。 |- |60 |貫通 | | |1705-1709 |楞伽院 |「別当別当代一覧」では「貫道」とする。 |- | |(貫通) |了堂 | |1705-1709 |大乗院 | |- |61 |(輪王寺宮) |弁海 | |1709-1719 |智妙院 |「別当別当代一覧」では1710年(宝永7年)就任とする。「出羽三山史年表」では退任年を記さない。 |- | |慈永 | | |1719-1720 |霊山院 |善光寺大勧進に転任。「出羽三山史年表」では就任年を記さない。就任年は「別当別当代一覧」による。 |- |62 |(輪王寺宮) |智英 |?-1721 |1720-1721 |施徳院 |病死。「別当別当代一覧」では「知英」とする。「別当別当代一覧」では1719年(享保4年)就任とする。 |- |63 |(輪王寺宮) |亮天 | |1721-1730 |性源院 |「別当別当代一覧」では1720年(享保5年)就任とする。 |- |64 |(輪王寺宮) |可道 | |1730-1739 |久遠院 | |- |65 |(輪王寺宮) |覚泉 | |1739-1741 |霊光院 | |- |66 |(輪王寺宮) |弁宥 | |1741-1747 |正光院 | |- |67 |(輪王寺宮) |諄慶 |?-1759 |1747-1759 |医王院 |病死。 |- |68 |(輪王寺宮) |智印 | |1759-1766 |智願院 |「別当別当代一覧」では「知印」とする。 |- |69 |(輪王寺宮) |亮豊 | |1766-1775 |戒光院 | |- |70 |(輪王寺宮) |義詮 | |1775-1782 |得禅院 |辞任後2年間、別当代任命されず。 |- |71 |(輪王寺宮) |義俊 | |1784-1788 |成満院 |「別当別当代一覧」では1782年(天明2年)就任とする。 |- |72 |(輪王寺宮) |官惇 |?-1791 |1788-1791 |化城院 | |- |73 |(輪王寺宮) |義研 | |1791-1808 |篤行院 | |- |74 |(輪王寺宮) |亮明 | |1808-1811 |慈心院 | |- |75 |覚諄 | |?-1847 |1811-1825 |深達院 |中興。日光山医王院から転任。「別当別当代一覧」では1813年(文化10年)就任とする。 |- |76 |山海 | | |1825-1836 |楞伽院 |日光山藤本院から転任。 |- |77 |覚音 | |?-1842 |1836-1842 |光明院 |日光山医王院から転任。「別当別当代一覧」では1837年(天保8年)就任とする。 |- |78 |(輪王寺宮) |実円 | |1842-1846 |隆信院 |延暦寺常光院に転じる。「出羽三山史年表」では別当代とするが、「別当別当代一覧」では1843年(天保14年)就任の別当とする。 |- |79 |澄海 | |?-1864 |1846-1861 |龍王院(海龍王院) |日光山龍光院から転任。「別当別当代一覧」では1847年(弘化4年)就任とする。 |- |80 |官田 | | |1861-1870 |霊山院(霊鷲院) |寛永寺福聚院から転任。1870年(明治3年)10月還俗して「羽黒宝前」と名乗る。出羽神社社司となる。 |} [[Category:山形県]]
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