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長浜・豊国神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
長浜・豊国神社
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'''豊国神社'''は、滋賀県長浜市にある、長浜の街を作った[[豊臣秀吉]]を祭る[[霊社]]。祭神は、「豊臣秀吉公、[[加藤清正]]公、[[八重事代主命]]えびす宮、木村長門守重成公」である。[[県社]]。'''豊神社'''。 == 歴史 == 天正2年(1574)、豊臣秀吉は長浜城と城下町の建設に着手し、10年かけて長浜の街を発展させた。さらに同19年(1591)に地租免除のお触れを出したが、これは幕末まで続き、長浜の興隆に寄与した。慶長2年(1597)の秀吉死後、長浜では街に反映をもたらした秀吉を顕彰追慕するために、京都にならって豊国神社を創建。しかし、徳川の世になるとともに破却された。その以来、長浜の街を支配する町役人'''十人衆'''が各家に豊臣秀吉の神像を密かに祀っていた。寛政5年(1793)、彦根藩に「[[えびす信仰|えびす宮]]」を建てるという名目で許可を得て創建。えびすを祭る裏に密かに豊臣秀吉を祭った。幕末、弘化3年(1846)、'''豊神社'''(みのり・じんじゃ)と称し、豊臣秀吉を偲んだ。明治維新後、幕府に憚る必要がなくなると大正9年(1920)、'''豊国神社'''と改称。豊臣秀吉を主祭神とすることを公とした。ただ、その後もえびす神も変わらず祀られている。なお'''木村重成'''は、豊臣秀頼を最後まで守った家臣である。(長浜豊国神社由緒書き) [[category:滋賀県]]
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