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総持寺祖院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
総持寺祖院
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'''総持寺祖院'''(そうじじ・そいん)は、石川県輪島市にある[[曹洞宗]]の[[禅宗の本山寺院|本山寺院]]。本尊は釈迦如来。横浜[[総持寺]]の発祥地に別院的な寺院として残されている。明治31年(1901)の火災で多くの伽藍を焼失。明治44年(1911)、総持寺は横浜に移転した。山号は諸嶽山。[[総持寺関連旧跡]]も参照。(参考 同名寺院[[総持寺 (同名)]]) == 歴史 == 1969年(昭和44年)、総持寺祖院と称す。 == 伽藍 == *仏殿:本尊は釈迦如来。大権修理菩薩と達磨を祀る。1912年(大正1年)7月再建。客殿を兼ねた相見の間がある。 *大祖堂:法堂と開山堂を兼ねる。1910年(明治43年)9月13日再建。正面壇には瑩山紹瑾の他、道元、峨山韶碩、五院開基を祀る。また左殿には三宝大荒神と定賢を祀る。 *放光堂:檀信徒の遺骨を納める納骨堂。本尊は地蔵菩薩。1910年(明治43年)9月13日再建。 *伝灯院:瑩山紹瑾の墓廟。1693年(元禄6年)の再建。明治の大火を免れた。 *慈雲閣:観音堂。総持寺祖院最古の建築。総持寺の発祥地とされる。行基が創建した[[諸嶽寺]]の後身という。明治の大火を免れた。 *僧堂:1930年(昭和5年)再建。僧侶の修行する道場。坐禅堂とも。 *経蔵:1743年(寛保3年)2月建立。金沢藩主前田吉徳の寄進。明治の大火を免れた。 *鐘鼓楼:鐘楼とも。梵鐘は1912年(大正1年)に鋳造。 *法身舎利塔:総門跡にある。1690年(元禄3年)建立。 *石字経塚:総門跡にある。1808年(文化5年)建立。 *三松閣:現在の第一の門。明治の大火を免れた。この近くに三本の龍の形の松の木があったという。三樹松閣とも。 *山門:1932年(昭和7年)9月建立。楼上に放光菩薩と十六羅漢・五百羅漢の古仏を祀る。 *不動堂:不動の瀧がある。 *高尾山:放光菩薩と金毘羅権現を祀る *白山井戸: *白山殿: *稲荷堂: *妙王堂:除穢殿。 *三宝大荒神殿: *地蔵:乳もらい地蔵 *地蔵:みそすり地蔵 *如来堂: *放生池: *荒神池: *龍王池: *蓮池: *要鎮池: *三十三観音 *坐禅石: *六地蔵 *総持寺墓地 *亀山 *鶴山 *元寺小路 *古和秀水 *秋葉社 *三尺坊 *神明社 *水害復興記念碑:1959年(昭和34年)の能登水害では門前町で26人の死者が出た。 *香積台:総持寺祖院の庫院(庫裏)。韋駄天を祀る。1952年(昭和27年)4月建立。総受付、大調理場、配膳部、浴場、東司、各役寮がある。2階には五院の名を付けた広間5室がある。 *浴室:香積台と川を挟んで接続。 *紫雲台:仏殿の裏側に接続。住職の居所。輪番制の時は75日ずつ五院の住職が交代で入り、「現方丈」と呼ばれた。1973年(昭和48年)再建。相見の間である跳龍室と大広間を備える。 *待鳳館:仏殿の裏側に接続。貴賓館。 *西堂寮: *摘星館: == 塔頭 == [[総持寺関連旧跡]]を参照。芳春院、興禅寺、覚皇院などが現存。 == 組織 == ===貫首=== [[総持寺#組織]]を参照 ===監院=== *真鍋魯宥:明治の大火後の伽藍復興に尽力。 *黒杉道印: == 参考文献 == *佃和雄1974『能登総持寺』北国出版社 [[category:石川県]]
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