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総持寺祖院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年8月11日 (日)
総持寺祖院(そうじじ・そいん)は、石川県輪島市門前町門前にある曹洞宗の本山寺院。本尊は釈迦如来。横浜総持寺の発祥地に別院的な寺院として残されている。明治31年(1901)の火災で多くの伽藍を焼失。明治44年(1911)、総持寺は横浜に移転した。山号は諸嶽山。総持寺関連旧跡も参照。(参考 同名寺院総持寺 (同名))
目次 |
歴史
1911年(明治44年)7月、総持寺別院と称す。 1969年(昭和44年)、総持寺祖院と称す。
伽藍
- 仏殿:本尊は釈迦如来。大権修理菩薩と達磨を祀る。1912年(大正1年)7月再建。客殿を兼ねた相見の間がある。
- 大祖堂:法堂と開山堂を兼ねる。1910年(明治43年)9月13日再建。正面壇には瑩山紹瑾の他、道元、峨山韶碩、五院開基を祀る。また左殿には三宝大荒神と定賢を祀る。
- 放光堂:檀信徒の遺骨を納める納骨堂。本尊は地蔵菩薩。1910年(明治43年)9月13日再建。
- 伝灯院:瑩山紹瑾の墓廟。1693年(元禄6年)の再建。明治の大火を免れた。
- 慈雲閣:観音堂。総持寺祖院最古の建築。総持寺の発祥地とされる。行基が創建した諸嶽寺の後身という。明治の大火を免れた。
- 僧堂:1930年(昭和5年)再建。僧侶の修行する道場。坐禅堂とも。
- 経蔵:1743年(寛保3年)2月建立。金沢藩主前田吉徳の寄進。明治の大火を免れた。
- 鐘鼓楼:鐘楼とも。梵鐘は1912年(大正1年)に鋳造。
- 法身舎利塔:総門跡にある。1690年(元禄3年)建立。
- 石字経塚:総門跡にある。1808年(文化5年)建立。
- 三松閣:現在の第一の門。明治の大火を免れた。この近くに三本の龍の形の松の木があったという。三樹松閣とも。
- 山門:1932年(昭和7年)9月建立。楼上に放光菩薩と十六羅漢・五百羅漢の古仏を祀る。
- 不動堂:不動明王を祀る。首山にある。不動の滝がある。
- 高尾山観音堂:放光菩薩と金毘羅権現を祀る。立持寺ともいった。1867年(慶応3年)の建立。平野しげが住んでいた。
- 白山井戸:
- 白山社:白山信仰の鎮守社。諸嶽寺時代からの鎮守という。白山殿とも。白山社に伝わる古札には「伊勢天照皇大神宮、八幡大菩薩、春日大明神、白山妙理大権現、熊野三所大権現、石動五社大権現、加茂上下大明神、諏訪上下大明神、住吉大明神、日吉山王、祇園牛頭天王、北野天神宮、気多大菩薩、松尾大明神、平野大明神、稲荷大明神、鉄川大明神、総日本国内大小神社」とある。
- 稲荷社:稲荷信仰の鎮守社。白狐石がある。共に元は白山社の前にあった。稲荷堂とも。
- 妙王堂:烏蒭沙摩明王を祀る堂。除穢殿ともいう。
- 三宝大荒神殿:
- 乳貰地蔵:父母を早くして失い、他人の乳をもらいながら育った通幻寂霊が建てたという。
- 地蔵:みそすり地蔵
- 如来堂:「如来志希女」と呼ばれた平野しげ(1886-1928)という尼僧を偲んで建てた堂。平野しげは岐阜県高山市出身で、出家して山崎心英尼と知り合い、総持寺祖院に滞在。当時の監院真鍋魯宥に帰依して各地で説法。如来講を組織。浄財は全て山門建立のために寄進した。首山にある。六角堂とも。
- 白山蔵:元は米蔵。一時期、宝物館として使っていた。
- 放生池:心字池。瑩山紹瑾の忌日法要の最終日に当たる9月15日に放生会を行う。傍らに観音像を祀る。
- 蓮池:紫雲台の庭に設けられた池。
- 荒神池:蓮池のほとりにある水屋で、三宝荒神が出現した地という。
- 龍王池:首山にある。三宝龍王池とも。雨乞いをしたという。不動の滝に流れている。
- 要鎮池:
- 三十三観音:首山にある。西国三十三観音霊場の写し霊場。山崎心英尼が築いた。
- 坐禅石:和田山にある。瑩山紹瑾が初めて櫛比荘に入った時、ここに座って伽藍創建の地を見極めたという。
- 六地蔵:
- 十三仏:
- 総持寺歴代住職墓地:亀山にある。峨山韶碩の墓を中心に定賢、五院開基、独住1世から8世までの墓所がある。また五院歴代住職の墓や巨大な前田家家老横山家の供養塔もある。
- 亀山
- 鶴山
- 元寺小路:塔頭があった地区。本山に近いほうから東側に芳春院、昌寿寺、正覚寺、代官屋敷、西側に青陽軒、松岩寺、昌泉寺、太清院があった。復興された妙心庵がある。
- 古和秀水:「こわしゅうど」と読む。高尾山の奥にある。瑩山紹瑾も用いた霊水という。
- 神明社:総持寺の鎮守。伊勢信仰の神社。「ぞんべら祭」が行われる。元は高尾山にあった。
- 秋葉社:総持寺の鎮守。秋葉信仰の神社。元は三尺坊という地にあった。
- 内保太玉神社:気屋の大王権現社。
- 櫛比神社:
- 水害復興記念碑:1959年(昭和34年)の能登水害では門前町で26人の死者が出た。
- 三味線地蔵:
- 香積台:総持寺祖院の庫院(庫裏)。韋駄天を祀る。1952年(昭和27年)4月建立。総受付、大調理場、配膳部、浴場、東司、各役寮がある。2階には五院の名を付けた広間5室がある。
- 浴室:香積台と川を挟んで接続。鶴山にある。
- 紫雲台:仏殿の裏側に接続。住職の居所。輪番制の時は75日ずつ五院の住職が交代で入り、「現方丈」と呼ばれた。1973年(昭和48年)再建。相見の間である跳龍室と大広間を備える。
- 待鳳館:仏殿の裏側に接続。貴賓館。
- 西堂寮:
- 摘星館:
塔頭
総持寺関連旧跡を参照。芳春院、興禅寺、覚皇院などが現存。峨山韶碩の母の菩提寺の妙心庵を山崎心英尼が復興。
組織
貫首
総持寺#組織を参照
監院
- 城井一秀:副監院
- 長谷川天穎:監院心得
- 青山物外:副監院
- 稲寸篤恭:監院
- 五十嵐仙嶺:監寺
- 真鍋魯宥:副監寺。のち監寺。明治の大火後の伽藍復興に尽力。
- 青山物外:監寺
- 小野田梅芳:監寺
- 稲垣禅戒:監寺代行
- 田中良通:監寺
- 孤峰雲巌:監寺
- 室峰梅逸:監院
- 筒井覚明:監院
- 稲垣順応:監院
- 黒杉道印:監院
画像
参考文献
- 佃和雄1974『能登総持寺』北国出版社