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金光教
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
金光教
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'''金光教'''(こんこうきょう)は、'''金光大神'''を開祖とする[[神道系新宗教]]。[[教派神道]]十三派の一つ。 == 一覧 == *[[金光教霊地]] **[[金乃神社]] == 組織 == ===歴代教主=== 取次者。 *1金光大神(1814-1883)<1859-1883>:金光教教祖。香取十平の次男。1814年(文化11年)8月16日生。1883年(明治16年)10月10日死去。70歳。 *2金光宅吉(1854-1893)<1883-1893>:金光大神の五男。1854年(安政1年)12月25日生(翌年1月2日生と届け出る)。1883年(明治16年)11月28日、取次の業を継承。1893年(明治26年)12月20日死去。40歳。 *3金光摂胤(1880-1963)<1893-1963>:金光宅吉の長男。1880年(明治13年)8月5日生。1893年(明治26年)12月29日、取次の業を継承。1935年(昭和10年)6月21日、大教会所神前奉仕者に就任。管長選挙を経て1941年(昭和16年)8月1日管長に就任。1946年(昭和21年)4月1日、宗教法人令に基づき教規を改正し、教主・本部教会長に就任。8月1日、改めて教主選挙で教主に就任。1963年(昭和38年)4月13日死去。84歳。 *4金光鑑太郎(1909-1991)<1963-1991>:1909年(明治42年)生。1963年(昭和38年)4月9日、教主代務者に就任。教主選挙を行い、7月9日に教主に就任。1991年(平成3年)死去。 *5金光平輝(1934-)<1991->: ===歴代管長=== *1金光大陣(2代)(1849-1919)<1900-1919>:金光大神の四男。金光萩雄。1849年(嘉永2年)4月25日生。1885年(明治18年)6月23日、神道備中事務分局所属の金光教会の教長に就任。金光教別派独立に伴い、1900年(明治33年)6月18日、金光教管長および金光教大教会長に就任。1919年(大正8年)12月17日死去。71歳。 *2金光家邦()<1920-1941>:1920年(大正9年)3月19日、管長に就任。 *(代理)金光国開()<1941-1941>:1941年(昭和16年)3月31日付で管長代務者に就任。 *3金光摂胤(1880-1963)<1941-1946>:管長選挙を経て1941年(昭和16年)8月1日管長に就任。1946年(昭和21年)4月1日、教規改正で管長職廃止。(歴代教主の項目を参照) ===歴代教監=== *1二代白神新一郎(-1910)<1900-1901>:1900年(明治33年)6月24日、教監に就任。1910年(明治43年)4月12日死去。64歳。 *(臨時)金光金吉(1845-)<1901-1902>:金光浅吉。金光大神の三男。1845年(弘化2年)2月8日生。1901年(明治34年)11月26日、副管長の金光金吉が臨時教監に就任。1906年(明治39年)7月28日、臨時教監に就任。再任。 *2近藤藤守()<1902-1906>:1902年(明治35年)1月26日、教監に就任。1917年(大正6年)1月28日死去。63歳。 *(臨時)金光金吉(1845-)<1906-1907>:1906年(明治39年)7月28日、臨時教監に就任。再任。 *3佐藤範雄(1856-1945)<1907-1917>:1907年(明治40年)4月5日、教監に就任。1942年(昭和17年)6月20日死去。87歳。 *4畑徳三郎(1867-)<1917-1921>:1917年(大正6年)1月20日、教監に就任。1918年(大正7年)4月、畑教監辞任問題が起こる。1919年(大正8年)1月28日、現職のまま休養。同年7月27日復職。1921年(大正10年)と1926年(昭和1年)に再任。1932年(昭和7年)2月5日死去。66歳。 *(臨時)佐藤範雄(1856-1945)<1919-1919>:1919年(大正8年)1月28日、臨時教監に就任。 *(臨時)高橋茂久平()<1921-1921>:1921年(大正10年)3月31日、臨時教監に就任。 *5畑徳三郎(1867-)<1921-1925>:1921年(大正10年)10月16日、教監に就任。 *6中野辰之助()<1925-1926>:1925年(大正14年)7月22日、教監に就任。 *7畑徳三郎(1867-)<1926-1929>:1926年(昭和1年)12月6日再任。 *8山本豊()<1929-1932>:1929年(昭和4年)5月18日、教監に就任。 *9小林鎮()<1932-1934>:1932年(昭和7年)6月22日、教監に就任。1934年(昭和9年)11月13日、金光家邦管長、小林鎮教監を罷免(昭和9年・10年事件の始まり)。 *10阪井永治()<1934-1935>:1934年(昭和9年)11月22日、教監に就任。 *11金光文孝()<1935-1935>:1935年(昭和10年)2月17日、教監に就任。4月17日辞任。 *12高橋正雄(1887-1965)<1935-1941>:1935年(昭和10年)4月26日、教監に就任。 *13松山成三()<1941-1942>:1941年(昭和16年)4月1日付で、教監に就任。 *14三代白神新一郎()<1942-1945>:1942年(昭和17年)6月29日、教監に就任。1945年(昭和20年)9月11日、敗戦にともない辞任。 *15和泉乙三(1884-1960)<1945-1947>:1945年(昭和20年)9月11日、教監に就任。1960年(昭和35年)8月19日死去。77歳。 *16堀尾保治()<1947-1947>:1947年(昭和22年)5月13日、教監に就任。 *17佐藤一夫()<1947-1950>:1947年(昭和22年)12月2日、教監に就任。佐藤範雄の子。芸備教会2代教会長。 *18片島幸吉()<1950-1951>:1950年(昭和25年)8月25日、教監に就任。 *19高橋正雄(1887-1965)<1951-1958>:1951年(昭和26年)12月9日、教監に就任。再任。 *20佐藤博敏()<1954-1958>:1954年(昭和29年)8月23日、教監に就任。 *21河合弘道()<1958-1958>:1958年(昭和33年)1月20日、教監に就任。10カ月足らずで辞任。 *22佐藤一夫()<1958-1962>:1958年(昭和33年)11月9日、教監に就任。再任。 *23多河常樹()<1962-1963>:1962年(昭和37年)4月15日、教監に就任。 *24高橋正雄(1887-1965)<1963-1965>:1963年(昭和38年)4月30日、教監に就任。1965年(昭和40年)5月25日、教監在職中に死去。79歳。 *25竹部寿夫()<1965-1969>:1965年(昭和40年)7月22日、教監に就任。 *26市川彰()<1969->:1969年(昭和44年)5月19日、教監に就任。 *安田好三()<>: *津田貴雄()<>: ===歴代教務総長=== *森定斎(1935-)<1998-2002>:森定齋。総社教会3代教会長。 *佐藤光俊(-2012)<-2012>:2012年4月29日死去。 *(代理)和泉正一 ()<>: *岡成敏正()<2012-2016>: *西川良典()<2016->:
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