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本願寺鷺森別院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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'''本願寺鷺森別院'''(ほんがんじ・さぎのもり・べついん)は、和歌山県和歌山市鷺ノ森にある[[浄土真宗]]寺院。[[浄土真宗本願寺派]]。[[西本願寺]]の[[浄土真宗本願寺派の別院寺院|別院]]。[[御坊]]。[[本願寺遷座旧跡]]。'''冷水道場'''('''清水道場''')。'''雑賀御坊'''。'''鷺森御坊'''。'''鷺森本願寺'''。 == 歴史 == 『鷺森旧事記』によると1476年(文明8年)春、[[蓮如]]が[[熊野]]参詣の途中、冷水浦(現和歌山県海南市)で説教をした。そこで帰依した了賢が同年10月に冷水道場を開いたのが起源とされる。この時下付されたとされる[[親鸞]]・[[蓮如]]の連座絵像が現存する。熊野参詣は史実とはいえないが、『蓮如上人紀伊国紀行』によると1486年(文明18年)に蓮如が冷水浦を訪れている。 1507年(永正4年)、名草郡黒江に移転。1544年(天文13年)天王山に移転。1550年(天文19年)に和歌浦の弥勒寺山に移転。1563年(永禄6年)雑賀荘鷺森の現在地に移転した。経済力を背景に興隆した雑賀衆が御坊を支えた。 雑賀衆は1570年(元亀1年)に始まった石山合戦にも動員され、本願寺教団の重要な基盤となっていた。1577年(天正5年)[[織田信長]]の雑賀攻め。1580年(天正8年)4月5日に親鸞御影を奉じて[[石山本願寺]]を退去した顕如は翌日、鷺森御坊に到着。1583年(天正11年)に[[貝塚御坊]]に移るまでここが本山となった(鷺森本願寺)。1585年(天正13年)[[豊臣秀吉]]の紀州攻め。享保年間、本堂再建。太子堂もあった。辻本三十六カ寺が交代で務めた。1945年(昭和20年)空襲で焼失。 和歌山市森小手穂に[[本願寺鷺森別院岡崎支坊|岡崎支坊]]がある。 (日本歴史地名大系ほか) == 辻本三十六カ寺 == *永正寺:和歌山市永穂。浄土真宗本願寺派。 *覚円寺:和歌山市狐島。浄土真宗本願寺派。元は京都興正寺末。 *善能寺:和歌山市道場町。浄土真宗本願寺派。元は京都興正寺末。 *念誓寺:和歌山市東紺屋町。浄土真宗本願寺派。 [[Category:和歌山県]]
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