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本願寺鷺森別院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年3月13日 (土)

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本願寺鷺森別院(ほんがんじ・さぎのもり・べついん)は、和歌山県和歌山市鷺ノ森にある浄土真宗寺院。本願寺遷座旧跡西本願寺別院御坊浄土真宗本願寺派冷水道場清水道場)。雑賀御坊鷺森御坊鷺森本願寺

目次

歴史

『鷺森旧事記』によると1476年(文明8年)春、蓮如熊野参詣の途中、冷水浦(現和歌山県海南市)で説教をした。そこで帰依した了賢が同年10月に冷水道場を開いたのが起源とされる。この時下付されたとされる親鸞蓮如の連座絵像が現存する。熊野参詣は史実とはいえないが、『蓮如上人紀伊国紀行』によると1486年(文明18年)に蓮如が冷水浦を訪れている。

1507年(永正4年)、名草郡黒江に移転。1544年(天文13年)天王山に移転。1550年(天文19年)に和歌浦の弥勒寺山に移転。1563年(永禄6年)雑賀荘鷺森の現在地に移転した。経済力を背景に興隆した雑賀衆が御坊を支えた。

雑賀衆は1570年(元亀1年)に始まった石山合戦にも動員され、本願寺教団の重要な基盤となっていた。1577年(天正5年)織田信長の雑賀攻め。1580年(天正8年)4月5日に親鸞御影を奉じて石山本願寺を退去した顕如は翌日、鷺森御坊に到着。1583年(天正11年)に貝塚御坊に移るまでここが本山となった(鷺森本願寺)。1585年(天正13年)豊臣秀吉の紀州攻め。辻本三十六カ寺が交代で務めた。1663年(寛文3年)に異端論争が起きて混乱したため以後輪番が置かれた。 享保年間、本堂再建。太子堂もあった。1945年(昭和20年)空襲で焼失。


(日本歴史地名大系ほか)


雑賀衆五組

  • 社家郷(宮郷):
  • 中郷(中川郷):
  • 南郷(三上):
  • 雑賀庄:
  • 十ケ郷:

支坊

『国史大辞典』に「配下に冷水・黒江・日高・岡崎の四カ所の枝御坊」があったとある。

  • 岡崎支坊:和歌山県和歌山市森小手穂。
  • 了賢寺:清水御坊。和歌山県海南市冷水。浄土真宗本願寺派。1873年(明治6年)一般寺院となる。
  • 浄国寺:黒江御坊。和歌山県海南市黒江。浄土真宗本願寺派。1873年(明治6年)一般寺院となる。
  • 日高:日高御坊


辻本三十六カ寺

  • 永正寺:和歌山県和歌山市永穂。浄土真宗本願寺派。
  • 覚円寺:和歌山県和歌山市狐島。浄土真宗本願寺派。元は京都興正寺末。
  • 善能寺:和歌山県和歌山市道場町。浄土真宗本願寺派。元は京都興正寺末。
  • 念誓寺:和歌山県和歌山市東紺屋町。浄土真宗本願寺派。
  • 西報寺:和歌山県和歌山市木ノ本。東本願寺末に転じた。現存不明。
  • 法照寺:和歌山県和歌山市岩橋。浄土真宗本願寺派。法正庵。

資料

  • 「鷺森別院記」『大谷本願寺通紀』「別院縁由」[1]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%9C%AC%E9%A1%98%E5%AF%BA%E9%B7%BA%E6%A3%AE%E5%88%A5%E9%99%A2」より作成

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