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智積院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
智積院
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'''智積院'''(ちしゃくいん)は、京都府京都市東山区にある[[真言宗]]の[[真言宗の本山寺院|本山寺院]]。[[真言宗智山派]]総本山。元は[[根来寺]]の一院だった。[[根来寺関連旧跡]]。[[祥雲寺]]の跡地に建てられた。 ==組織== ===住職=== 能化・化主と呼ばれる。 {|class="wikitable" |+ !style="width:5%;"|世数 !style="width:10%;"|名 !style="width:10%;"|生没年 !style="width:10%;"|在職年 !style="width:40%;"|略歴 |- |1 |玄宥 |1529-1605 |1577- |下野出身。膝付氏。智積院日秀に師事。1577年(天正5年)、能化。1585年(天正13年)[[豊臣秀吉]]の根来攻めで敗走。1600年(慶長5年)京都に智積院を再興。1605年(慶長10年)10月4日死去。77歳。墓所は[[泉涌寺]]。(日本人名大辞典など) |- |2 |祐宜 |1536-1612 |1606- |下野出身。深沢氏。[[根来寺]]で日秀、頼玄に学ぶ。[[下野・金剛定寺]]住職。1606年(慶長11年)5月、能化。1612年(慶長17年)11月11日死去。77歳。(日本人名大辞典など) |- |3 |日誉 |1556-1640 |1612?-1631 |武蔵出身。小野寺氏。根来寺の日秀、頼玄に師事。焼き討ち後は[[長谷寺]]専誉、智積院玄宥に学ぶ。[[近江・総持寺]]を経て智積院能化。就任は1612年(慶長17年)か。「智積院法度」を受ける。1615年(元和1年)徳川幕府から旧[[祥雲寺]]を譲渡される。1631年(寛永8年)[[大報恩寺]]に引退。1640年(寛永17年)11月20日死去。85歳。(日本人名大辞典、新義真言宗史など) |- |4 |元寿 |1575-1648 |1631- |下野出身。野口氏。長谷寺専誉、智積院玄宥に学ぶ。1619年(元和5年)、徳川秀忠から江戸に大報恩寺を与えられた(?)。1631年(寛永8年)智積院能化。1638年(寛永15年)僧正。1648年(慶安1年)閏1月13日死去。74歳。(日本人名大辞典など) |- |5 |隆長 |1586-1656 |1648- |越後出身。柳氏。武蔵[[明星院]]の祐長、京都智積院の日誉に学ぶ。1639年(寛永16年)元寿から灌頂。1648年(慶安1年)智積院能化。1651年(慶安4年)僧正。1656年(明暦2年)10月9日死去。71歳。(日本人名大辞典など) |- |6 |宥貞 |1592-1664 |1656- |上野出身。当初は[[天台宗]]を学んだが真言宗に転じ、智積院の日誉、元寿に学ぶ。1642年(寛永19年)幕命で[[宝仙寺]]住職となる。1649年(慶安2年)[[江戸円福寺]]住職。1656年(明暦2年)智積院能化。1664年(寛文4年)5月6日死去。73歳。(日本人名大辞典など) |- |7 |運敞 |1614-1693 |1661- |大阪出身。藤原氏。日誉、元寿に師事。[[名古屋長久寺]]、江戸円福寺を経て1661年(寛文1年)智積院能化。著書多数。1693年(元禄6年)9月10日死去。80歳。(日本人名大辞典など) |- |8 |信盛 |1620-1693 |1682- |智積院運敞に学ぶ。[[安楽寿院]]、江戸円福寺を経て1682年(天和2年)智積院能化。同年焼失した諸堂を再建。1693年(元禄6年)1月8日死去。(新義真言宗史など) |- |9 |宥鑁 |1624-1702 |1693- |甲斐出身。隆屋氏。智積院の宥貞、運敞に学ぶ。[[醍醐寺]]の有雅に小野流を学ぶ。1683年(天和3年)[[江戸真福寺]]住職。1693年(元禄6年)智積院能化。伝法大会を再興。1702年(元禄15年)7月19日死去。79歳。(日本人名大辞典など) |- |10 |専戒 |1640-1710 |1697-1705 |安楽寿院専教の弟子。円福寺住職。1697年(元禄10年)智積院能化。1705年(宝永2年)、大報恩寺に引退。1710年(宝永7年)6月24日死去。71歳。(新義真言宗史など) |- |11 |覚眼 |1643-1725 |1705- |薩摩出身。運敞の弟子。[[薩摩・大乗院]]で出家。江戸円福寺に入る。1705年(宝永2年)智積院能化。智積院能化として初の大僧正。[[江戸・護持院|護持院]]住職・新義真言宗僧録司。1725年(享保10年)11月8日死去。83歳。(日本人名大辞典など) |- |12 |義山 |1646-1722 |1709- |美濃出身。赤穂[[遠林寺]]住職。[[六波羅蜜寺]]住職。[[大石良雄]]と交流。名古屋長久寺、江戸円福寺を経て1709年(宝永6年)智積院能化。1722年(享保7年)7月4日死去。(新義真言宗史など) |- |13 |快存 |1647-1724 |1716- |薩摩出身。[[瑞応院]]快誉に師事。大和[[宝光院]]、[[下総・西光寺]]、[[薩摩・一乗院]]、薩摩大乗院、六波羅蜜寺、江戸真福寺を経て1716年(享保1年)智積院能化。3年で退任。北野普門院に隠居。薩摩[[幸善寺]]を創建。1724年(享保9年)8月29日死去。78歳。(新義真言宗史など) |- |14 |智興 |1661-1728 | |智積院で学ぶ。[[瀧谷寺]]、江戸円福寺を経て智積院能化。[[長谷寺]]秀慶と議して[[仁和寺]]・[[大覚寺]]に請願して色衣許可。1728年(享保13年)6月18日死去。(新義真言宗史など) |- |15 |亮範 |1670-1739 |1728- |越前出身。竹内氏。智積院の信盛に師事。1694年(元禄7年)江戸智宝寺を創建。[[蟹満寺]]、江戸真福寺を経て1728年(享保13年)智積院能化。1739年(元文4年)9月27日死去。70歳。(日本人名大辞典など) |- |16 |鑁浄 |?-1744 |1739- |薩摩出身か。経歴不詳という。1739年(元文4年)智積院能化。1744年(延享1年)4月24日死去。(新義真言宗史など) |- |17 |龍天 |1677-1767 |1744- |明芽氏。智積院に学ぶ。隆誉に灌頂を受ける。[[醍醐寺]]の真円に学ぶ。[[常陸円福寺]]を経て1744年(延享1年)智積院能化。1746年(延享3年)僧正。1767年(明和4年)2月6日死去。91歳。(日本人名大辞典など) |- |18 |快侃 |1682-1756 |1753- |山城出身。[[明王院]]快継に師事。智積院に学ぶ。六波羅蜜寺、[[上品蓮台寺]]を経て1753年(宝暦3年)智積院能化。1756年(宝暦6年)2月13日死去。75歳。(新義真言宗史など) |- |19 |覚遠 |1691-1771 |1756- |山城出身。近江[[石津寺]]覚翁に学ぶ。名古屋長久寺、江戸円福寺を経て、1756年(宝暦6年)智積院能化。1759年(宝暦9年)六波羅蜜寺に隠退。1771年(明和8年)4月14日死去。81歳。(新義真言宗史など) |- |20 |浄空 |1693-1775 |1759- |下野出身。鈴木氏。[[明星院]]海浄に師事。江戸円福寺を経て1759年(宝暦9年)智積院能化。1775年(安永4年) 10月28日死去。83歳。(日本人名大辞典など) |- |21 |等空 |?-1777 |1766- |紀伊出身。鑁盛に師事。智積院で修行。江戸真福寺を経て1766年(明和3年)智積院能化。[[因幡堂]]に隠退。1777年(安永6年)6月1日死去。あるいは[[紀伊・円満寺]]に隠居。同寺に供養塔。(新義真言宗史など) |- |22 |動潮 |1709-1795 |1773- |武蔵出身。岡野氏。京都智積院に学ぶ。[[醍醐寺]]実雅、[[仁和寺]]宥証に密教を学び、智山第一の事相家と呼ばれた。江戸真福寺を経て1773年(安永2年)智積院能化。1795年(寛政7年)12月7日死去。87歳。(日本人名大辞典など) |- |23 |鑁啓 |1718-1794 |1780- |仁宥のもとで出家。智積院で学ぶ。江戸真福寺を経て1780年(安永9年)智積院能化。1787年(天明7年)退任。1794年(寛政6年)12月3日死去。77歳。(新義真言宗史など) |- |24 |胎通 |1720-1798 |1787- |陸奥出身。智積院で学ぶ。江戸円福寺住職。1787年(天明7年)智積院能化。「忠善騒動」の責任を取って辞任。1798年(寛政10年)2月24日死去。79歳。(日本人名大辞典など) |- |25 |慈順 |1735-1816 |1799- |武蔵出身。長久寺光浄の下で出家。智積院で動潮に学ぶ。[[上品蓮台寺]]を経て1799年(寛政11年)11月、智積院能化。隠退。1815年(文化12年)9月19日死去。82歳。(新義真言宗史など) |- |26 |浄光 |1729-1803 |1803- |安房出身。智積院で学ぶ。江戸円福寺を経て1803年(享和3年)4月、智積院能化。1803年(享和3年)9月15日死去。75歳。僧正を追贈。(新義真言宗史など) |- |27 |英範 |1730-1804 |1803- |近江出身。近江石動寺(?)で出家。智積院に学ぶ。真福寺住職となり、本堂を再建。1803年(享和3年)智積院能化。1804年(文化1年)8月15日本山で死去。75歳。(新義真言宗史など) |- |28 |謙順 |1740-1812 |1804- |武蔵出身。円福寺覚遠(智積院)に師事。忠善騒動のために『略策海滴』を著す。六波羅蜜寺、円福寺を経て1804年(文化1年)智積院能化。[[高山寺]]に隠退。1812年(文化9年)9月16日死去。73歳。編書『諸宗章疏録』。(新義真言宗史など) |- |29 |観豪 |1747-1813 |1810- |紀伊で[[性海寺]]仁越に師事。智積院で学ぶ。六波羅蜜寺、真福寺を経て1810年(文化7年)智積院能化。本山に400両を寄進しさらに千金を集めて永世不断光明三昧の資とする。1813年(文化10年)6月24日本山で死去。67歳。(新義真言宗史など) |- |30 |弘基 |1752-1822 |1815- |越後出身。[[越後・円融寺]]祐覚に師事。智積院で弘道に師事。本山衆議となる。大和、備前、讃岐、伊予などを巡教。観豪の死後、幕府は異例にもその才能を評価して1815年(文化12年)智積院能化に任命する。1822年(文政5年)11月6日死去。71歳。(新義真言宗史など) |- |31 |亮海 |1750-1828 |1823- |下総出身。出流山[[栃木・満願寺|満願寺]]の道海に師事。本山第三臈となり真福寺に晋山。1823年(文政6年)智積院能化。1828年(文政11年)3月14日死去。76歳。(新義真言宗史など) |- |32 |海応 |1769-1833 |1829- |佐渡出身。菊池家出身。英範に師事。六波羅蜜寺、江戸真福寺を経て1829年(文政12年)智積院能化となる。倶舎学に秀でた。1833年(天保4年)11月29日死去。63歳。(日本人名大辞典など) |- |33 |隆瑜 |1773-1850 |1834- |安房出身。智積院で学ぶ。[[安房・宝珠院]]、江戸真福寺を経て1834年(天保5年)智積院能化。京都[[大報恩寺]]に著述に励み、智積院に書庫を建てた。1850年(嘉永3年)4月3日死去。78歳。(日本人名大辞典など) |- |34 |禅宅 |1785-1851 |1837- |武蔵出身。謙順の弟子。頑強な性格だったという。移転地の制度を改正する。越前[[瀧谷寺]]、円福寺を経て1837年(天保8年)智積院能化。しかし、能化投票に不正があったと疑われ、まもなく退任。[[江戸・加納院]]に隠退。1851年(嘉永4年)2月16日死去。67歳。僧正を追贈。(新義真言宗史など) |- |35 |先晋 |1772-1847 |1841- |武蔵出身。馬室[[常勝寺]]で出家。智積院で学ぶ。1841年(天保12年)智積院能化。1847年(弘化4年)12月17日死去。76歳。(新義真言宗史など) |- |36 |範恵 |1788-1850 |1846- |山城出身。[[海住山寺]]範冷に師事。[[越前・性海寺]]、江戸真福寺を経て1846年(弘化3年)智積院能化。1850年(嘉永3年)4月1日死去。63歳。(新義真言宗史など) |- |37 |信海 |1783-1856 |1850- |三河出身。浮土菩提寺で出家。智積院で学ぶ。智積院海応に師事して信海と改名する。[[根来寺律乗院]]に住す。1850年(嘉永3年)智積院能化。海応と並び倶舎学に秀でた。1856年(安政3年)2月22日死去。74歳。(新義真言宗史など) |- |38 |頼如 |1801-1862 |1856- |安房出身。野村氏。智積院で学ぶ。[[安房・宝珠院]]住職。1853年(嘉永6年)江戸円福寺住職。1856年(安政3年)智積院能化。1862年(文久2年)8月24日死去。62歳。(日本人名大辞典など) |- |39 |隆栄 |1809-1867 |1862- |安房出身。石井氏。智積院で学ぶ。京都[[清和院]]、江戸真福寺を経て1862年(文久2年)智積院能化。倶舎学に秀でた。1867年(慶応3年)7月17日死去。59歳。(日本人名大辞典など) |- |40 |丹藤弘現 |1818-1878 |1869- |佐渡出身。智積院で学ぶ。1857年(安政4年)[[蓮華峰寺]]住職。1869年(明治2年)智積院能化。1872年(明治5年)教導職権少教正。1878年(明治11年)12月1日死去。61歳。(日本人名大辞典など) |- |41 |佐々木義範 |1830-1878 |1874- |佐渡出身。[[養禅寺]]泰眼に師事。智積院で弘現に師事。佐渡[[蓮華峰寺]]に住す。明治維新に際して東奔西走する。1874年(明治7年)智積院能化。1878年(明治11年)教導職権大教正。同年、[[大教院]]で義林章の講義を行っている途中、9月10日死去。49歳。(新義真言宗史など) |- |42 |松平実因 |1820-1889 |1879- |名古屋出身。小畠氏。[[福生院]]実ミンの下で出家。智積院で隆栄に学ぶ。[[名古屋・長久寺]]を経て1879年(明治12年)智積院能化。真言宗長者。[[根来寺]]座主。1889年(明治22年)11月20日死去。70歳。(新義真言宗史など) |- |43 |金剛宥性 |1821-1895 |1890- |安房出身。小川氏。安房清水成就院の慶真の下で出家。智積院で頼如に学ぶ。あるいは根来寺で信海らに学ぶとも。[[安房清澄寺]]に住す。教導職権少教正となるが1873年(明治6年)辞職。同年または1875年(明治8年)に[[三宝院門跡]]・[[醍醐寺]]座主となり、教導職権中教正となるが1881年(明治14年)再び辞職。まもなく大講義。1890年(明治23年)智積院能化。大僧正。浅草吉祥院に隠退。根来寺座主?。1895年(明治28年)1月13日死去。75歳。(日本人名大辞典、新義真言宗史など) |- |44 |佐伯隆基 |1831-1897 |1891- |磐城出身。[[宥徳院]]で出家。[[平間寺]]の佐伯隆珊に師事してその姓を継ぐ。智積院に学び、武蔵東福寺、平間寺を経て1891年(明治24年)智積院能化。隠退して平間寺生玉庵に住す。1897年(明治30年)10月3日死去。69歳。生玉隠士と号す。(新義真言宗史など) |- |45 |船岡芳勝 |1840-1896 |1896- |越後出身。[[小千谷・慈眼寺]]で出家。智積院で学ぶ。当時、学徒が四散するが一人留まって研鑽する。慈眼寺、魚沼弘誓寺、[[小千谷・五智院]]を経て1896年(明治29年)智積院能化。同年、大学林で主管交代式を行った直後、11月29日真福寺で死去。57歳。(新義真言宗史など) |- |46 |三神快運 |1836-1905 |1897- |越後出身。越後築地宝持院で出家。智積院で学ぶ。宝持院、[[新発田・宝積院]]に住す。宗務を担当し、巡錫する。1897年(明治30年)智積院能化。真言宗長者。[[大報恩寺]]に隠居。(新義真言宗史など) |- |47 |瑜伽教如 |1847-1928 |1899- |越後出身。1899年(明治32年)智積院能化。1900年(明治33年)真言宗智山派管長。1928年(昭和3年)12月20日死去。82歳。(日本人名大辞典など) |- |48 |伊藤宗盛 |1844-1919 |1910- |山形県出身。[[龍覚寺]]で出家。智積院で学ぶ。1871年(明治4年)12月、[[息障院]]に住す。1910年(明治43年)3月、智積院能化。1917年(大正6年)10月退職。1919年(大正8年)12月16日息障院で死去。70歳。墓所は息障院。(埼玉県史) |- |49 |大江存良 |1852-1928 |1917- |京都出身。藤井家。[[遍照院]]で出家。1875年(明治8年)[[瀧谷寺]]46世。菩提院結衆、宗機顧問を経て1917年(大正6年)智山派管長、大僧正。ついで根来寺座主。1921年(大正10年)退任。(大日本人物名鑑) |- |50 |武藤範秀 |1866-1942 | |[[薬王院]]27世。[[海住山寺]]住職。 |- |51 |滝承天 |1853-1941 | | |- |52 |青木栄豊 |1857-1936 |1927- | |- |53 |旭純栄 |1864-1948 | | |- |54 |斎藤隆現 |1868-1947 | | |- |55 |高井観海 |1885-1953 |1946- |和歌山県出身。智山勧学院卒。哲学館で井上円了に学ぶ。智山勧学院教授、智山専門学校長、大正大学教授を経て1946年(昭和21年)智積院能化・智山派管長。1953年(昭和28年) 1月9日死去。68歳。(日本人名大辞典など) |- |56 |御嶽隆道 |1885-1959 | | |- |57 |倉持秀峰 |1891-1972 |1955- |埼玉県出身。早稲田大学卒。1921年(大正10年)[[三学院]]に住す。1935年(昭和10年)智積院事務長。1955年(昭和30年)智積院能化・智山派管長。埼玉県仏教会会長。1972年(昭和47年) 3月2日死去。81歳。(日本人名大辞典など) |- |58 |松平実亮 |1883-1967 | |[[福生院]]住職。 |- |59 |秋山祐雅 |1895-1989 | |[[武蔵・金剛寺]]32世。1989年9月23日死去。 |- |60 |那須政隆 |1894-1987 | | |- |61 |竹村教智 |1896-1990 | |[[満願寺]]貫主。 |- |62 |芙蓉良順 |1900-1983 | |[[勝蔵院]]住職。 |- |63 |上野頼栄 |1906-1993 | |[[陸奥・常福寺]]住職。 |- |64 |小峰順誉 |1900-1990 | |[[田無・総持寺]]住職。 |- |65 |藤井龍心 |1903-1998 | | |- |66 |高井隆秀 |1916-1999 | |[[上品蓮台寺]]住職。 |- |67 |近藤隆敬 |1912-2001 |1997- |[[長福寺]]住職。 |- |68 |宮坂宥勝 |1921-2011 |1999-2007 |長野県出身。東北大学卒業。1965年(昭和40年)高野山大学教授。1977年(昭和52年)名古屋大学教授。成田山勧学院教授。1967年(昭和42年)長野[[照光寺]]住職。1999年(平成11年)智積院能化・智山派管長。2011年(平成23年)1月11日死去。89歳。(日本人名大辞典など) |- |69 |阿部龍文 |1924-2017 |2007-2011 |[[武蔵・満願寺|世田谷満願寺]]住職。 |- |70 |寺田信秀 |1919- |2011-2015 |館山総持院。 |- |71 |小峰一允 |1933- |2015- |[[三宝寺]]住職。 |} (『日本仏教人名辞書』、智積院ウェブサイト) (富田学純『新義真言宗史』[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819446/82]) [[category:京都府]]
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