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武蔵・喜多院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
武蔵・喜多院
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'''喜多院'''(きたいん)は、埼玉県川越市小仙波町(武蔵国入間郡)にある[[元三大師信仰]]の[[天台宗]]寺院。[[天台宗延暦寺派]][[準別格大寺]]。[[天海]]ゆかりの旧跡で、[[仙波東照宮]]別当。[[無量寿寺中院|中院]]・[[無量寿寺南院|南院]]と共に、580寺を従えた関東天台の拠点だった[[武蔵・無量寿寺|無量寿寺]]の一院だった。[[大光普照寺]]、[[宗光寺]]と共に[[天台宗の檀林寺院|天台宗関東三檀林]]の一つ。'''東叡山'''の山号を持っていたが、[[寛永寺]]に譲り、'''星野山'''と称す。'''川越大師'''とも言われる。旧称は'''仏蔵院'''('''仏蔵坊''')。また'''北院'''とも。(参考:同名寺院[[喜多院]]・[[北院]]) ==歴史== 無量寿寺や[[無量寿寺中院|中院]]と共に[[円仁]]が創建したといい、尊海が中興した。元は仏蔵院(仏蔵坊)と称し、のち北院、喜多院と称した。ある時期まで中院、北院は並立していたが、1558年(永禄1年)、中院が[[青蓮院]]門流の伝授権を認められるとその配下に入った。一山寺院としての無量寿寺もこの頃崩壊したと思われる。 中院より優位に立つようにたびたび争論。そして天海が入寺し、中興。1612年(慶長17年)が[[徳川家康]]が300石を寄進。同年8月、家康は川越藩主酒井忠利を奉行として伽藍造営を命じ、翌年、慈恵堂、1614年(慶長19年)大堂を造営。また1613年(慶長18年)には関東天台宗法度を喜多院に下して[[延暦寺]]を超える有力寺院となった。同年12月、天海の法話と中院の法話を聴き比べ、喜多院に500石を、中院に黄金10枚を与えた。 1617年(元和3年)、天海の主導で前年に死去した徳川家康の神櫃が[[久能山]]から[[日光山]]に改葬されることとなり、日光に向かう途中の3月23日~26日、神櫃が喜多院大堂に奉安。遷座道中で最大の法要が営まれた。まもなく喜多院にも家康の霊が祀られ、仙波東照宮の起源となった。 1620年(元和6年)徳川秀忠は寺領を朱印地とした。東叡山を号したのもこの頃とみられる。ただし、東叡山の号は1624年(寛永1年)の寛永寺創建で譲り、星野山に戻った。 1638年(寛永15年)、川越大火で焼失。徳川家光は中院跡に東照宮を造営。大堂、多宝塔、客殿、書院、庫裏、慈恵堂を整備した。客殿、書院、庫裏は江戸城から移築したという。神仏分離で、仙波東照宮、日枝神社、三芳野神社などが独立。中院以外の子院は廃絶した。1910年(明治43年)喜多院保存会を創立。 (日本歴史地名大系) == 伽藍 == *大堂:廃絶。本尊の阿弥陀如来は客殿に祀られている。 *慈恵堂:事実上の本堂となっている。本尊は良源。 *[[喜多院慈眼堂|慈眼堂]]:天海の御影堂。 *多宝塔: *客殿:江戸城から移築。 *五百羅漢:1796年(寛政8年)志誠が発願。1823年(文政6年)落慶。 *太子堂: *[[仙波東照宮]]:現在は独立した神社。 *[[仙波日枝神社]]:現在は独立した神社。 *[[三芳野神社]]:現在は独立した神社。 *三位稲荷: *白山神社: *大黒堂: *[[川越藩松平家墓地]]:松平朝矩、松平直恒、松平直温、松平斉典、松平直侯を葬る。 *歴代住職墓地: *斎霊殿:葬儀場 *学寮: == 子院 == *真珠院:知事(住職の次位)の号。 *中院:寺家。[[無量寿寺中院]]。現在は独立寺院。 *南院:寺家。[[無量寿寺南院]]。廃絶。 *明星坊:平坊。 *星行坊:平坊。 *成就坊:平坊。 *心鏡坊:平坊。 *広仙坊:平坊。 *仙境坊:平坊。 *常蔵坊:平坊。 == 組織 == 住職は能化と称した。 ===歴代住職=== *1尊海()<>:中興 *2寛海()<>: *3忠海()<>: *4紹海()<>: *5良海()<>: *6隠海()<>: *7珍海()<>: *8顕海 *9 *10 *11勝海 *12 *13慶海 *13仙海()<>: *14実海()<>:1460年(寛正1年)生(1446年(文安3年)説は誤りという)。1533年(天文2年)8月17日死去。 *15 *16 *17 *18 *19祐海 *20 *21 *22 *23 *24 *25 *26豪海()<>: *27[[天海]](1536-1643)<>:中興 *28倫海()<>: *29周海()<>: *30慈海()<>: *31 *32 *33 *34 *35 *36 *37 *38 *39 *40 *41 *42 *43 *44 *45 *46 *47 *48 *49 *50 *51 *52 *53 *54 *55 *56 *桜木谷慈薫()<1834-1907>:天保5年2月10日生。[[毛越寺]]住職。喜多院住職。明治40年2月27日死去。74歳。 *壬生雄舜(1877-1950)<>:(略歴は[[妙法院#組織]]を参照) *57塩入亮忠(1889-1971)<>:仏教学者。長野県出身。明治22年6月23日生。天台宗大学卒。大谷大学研究科や東大寺勧学院で華厳教学を研究。1931年(昭和6年)大正大学教授。1951年(昭和26年)大正大学学長。浅草寺執事長。宗務総長。探題。浅草寺法善院住職。川越喜多院住職。昭和46年12月23日死去。82歳。(日本人名大辞典、20世紀日本人名事典) *58塩入亮善(1930-)<>: *59塩入秀智()<>: [[category:埼玉県]]
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