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転法輪寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
転法輪寺
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'''転法輪寺'''(てんほうりんじ)は、奈良県御所市高天の[[葛城山]]の金剛山にある、[[修験道]]開祖[[役小角]]が修行した旧跡とされる[[真言宗]]寺院。法起菩薩を祀る。[[修験道]][[当山派]]の[[正大先達]]の一つ。[[真言宗醍醐派]]大本山。鎮守として[[一言主神]]を祀る[[葛木神社]]がある。[[葛城二十八宿]]の第21経塚が近くにある。'''金剛山寺'''とも称した。山号は金剛山、一乗山。(参考:同名寺院[[転法輪寺_(同名)]]) ==歴史== 665年(天智4年)[[役小角]]が法起菩薩を感得して創建。877年(元慶1年)、伽藍焼失し、[[興福寺]]別当の孝忠が復興。のち鎌倉時代末に大宿坊の長香が復興。以後、長香の子孫の葛城家が世襲した。 金剛山の中心的寺院として塔頭や周辺寺院を管轄し、本坊の[[大宿坊]]のほか、脇寺六坊として山上に行者坊、長床坊、西室院、実相院、石寺、朝原寺、金剛七坊として山麓に修道寺、坊領山、多聞寺、朝原寺、[[高天寺]]、石寺、大沢寺があった(同名寺院については不詳)。 1585年(天正13年)、豊臣秀吉が参詣。ひさご池を開削した。 近世には[[興福寺一乗院]]末となった。 廃仏毀釈で廃絶。1950年(昭和25年)の役行者1250年遠忌を機に復興を開始。1961年(昭和36年)本堂再建。2011年(平成23年)本尊を復刻。 (日本歴史地名大系、国史大辞典ほか) ==伽藍== *本堂:もともとは現在の葛木神社の場所にあった。 *ひさご池:弁財天を祀る。 *護摩壇: *行者堂: *鎮宅: *岩屋文殊: *出迎え不動: *十三重石塔: *第21経塚: *葛木神社: *大黒堂:廃絶。 *大日堂:廃絶。 *庚申堂:廃絶。 *虚空蔵堂:廃絶。 *大師母塔:廃絶。? ==組織== ===住職=== *61葛城光龍 [[category:奈良県]]
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