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朝鮮神宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
朝鮮神宮
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[[ファイル:朝鮮神宮01.jpg|thumb|400px]] '''朝鮮神宮'''(ちょうせん・じんぐう)は朝鮮京畿道京城府南山にあった神社。祭神は[[天照大神]]、[[明治天皇]]。[[官幣大社]]。[[勅祭社]]。[[朝鮮の神社]]。 <!-- ==奉斎== ==由緒== --> ==歴史== ==境内== ==組織== ===宮司=== {|class="wikitable" |+朝鮮神宮歴代宮司 !style="width:5%;"|世数 !style="width:10%;"|名 !style="width:10%;"|生没年 !style="width:10%;"|在職年 !style="width:65%;"|略歴 |- |1 |高松四郎 |1875-1955 |1925-1931 |福島県白河市出身。白河藩士の子。1875年(明治8年)生。[[平野神社]]に奉職。1899年(明治32年)[[松尾大社]]禰宜。1900年(明治33年)、内務省[[神社局]]考証課嘱託。1901年(明治34年)[[弥彦神社]]宮司。1921年(大正10年)[[日光東照宮]]宮司。1925年(大正14年)朝鮮神宮宮司。1931年(昭和6年)4月30日、[[橿原神宮]]宮司。1934年(昭和9年)[[札幌神社]]宮司。1940年(昭和15年)[[住吉大社]]宮司。観光地化、単なる修養施設となりつつある神社の現状に対してあくまで信仰の場としての神社の興隆を志していたらしい。(「近代の神職高松四郎の研究」) |- |2 |阿知和安彦 |1873-? |1931-1940 |愛知県出身。1873年(明治6年)生。神宮皇学館本科卒。1897年(明治30年)伊勢神宮宮掌・神宮皇学館教授。1897年(明治30年)7月1日、[[建勲神社]]宮司。1906年(明治39年)12月27日[[吉田神社]]宮司。1912年(大正1年)4月5日、[[日光東照宮]]宮司。1915年(大正4年)神宮禰宜。1926年(昭和1年)[[長崎諏訪神社]]宮司。1931年(昭和6年)4月30日、朝鮮神宮宮司。1940年(昭和15年)8月10日退任。[[皇典講究所]]所長。『大麻と神棚 家庭の神祭り心得』『五十鈴川流』『敬神に就て』。 |- |3 |額賀大直 |1877-1961 |1940-1945 |1940年(昭和15年)8月10日朝鮮神宮宮司。27日赴任。1945年(昭和20年)8月、敗戦を迎えた。11月17日、朝鮮神宮廃止。1946年(昭和21年)1月18日、[[香取神宮]]宮司。(略歴は[[香取神宮#組織]]を参照) |} ===権宮司=== 1936年(昭和11年)権宮司設置。 *吉田貞治()<>:1937年(昭和12年)5月15日、平壌神社宮司。 *竹島栄雄(1905-)<1941->:1905年(明治38年)生。1939年(昭和14年)8月11日、[[柞原八幡宮]]宮司。1941年(昭和16年)2月21日、朝鮮神宮権宮司就任。(「任免裁可書」[https://www.digital.archives.go.jp/das/meta/M0000000000003139817.html]) ==画像== ==資料== [https://doi.org/10.20594/religionandsociety.5.0_21] [[category:大韓民国ソウル特別市]]
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