ようこそ『神殿大観』へ。ただいま
試験運用中
です。
大入杵命墓
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
大入杵命墓
のソース
移動:
案内
,
検索
以下に示された理由により、このページの編集を行うことができません:
この操作は、
利用者
のグループに属する利用者のみが実行できます。
ページ
名前空間にあるページを編集する権限がありません。
このページのソースを閲覧し、コピーすることができます:
石川県鹿島郡中能登町小田中にある大入杵命(おおいりきのみこと)の[[陵墓]]。大入杵命は[[崇神天皇]]皇子で能登臣の祖神とされ、[[能登部神社]]祭神であり[[気多大社]]の初代「祭主」ともされる。古墳名は'''小田中親王塚古墳'''('''小田中新王塚古墳''')。円墳または帆立貝式古墳とされる。亀塚古墳(大入杵命墓陪塚い号)と共に'''小田中古墳群'''と呼ばれる。 ==歴史== 古くから存在を知られており、『平家物語』には源義仲が「小田中新王の塚」の前に陣を置いたことが記されている(大入杵命墓のことではないとする説もある)。江戸時代通じて親王塚より新王塚の表記のほうが一般的だった。墳丘の上には[[能登臣御祖神社]](親王社)があった。1875年(明治8年)12月27日、大入杵命墓として治定された。1876年(明治9年)2月、[[教部省]]は石川県に調査を命じ、石川県は森田平次に調査させた。その時の絵図が石川県立図書館に残る。整備直前の様子を描く絵図には墳丘の上に能登臣御祖神社の社殿があり、参道には鳥居が描かれている。神社は撤去されて傍らに遷座した(のち[[白久志山御祖神社]]に合祀)。露出していた石槨が埋め戻され、工作物や参道の石段は撤去されたが陵墓の拝所は同じ面に設けられた。1990年(平成2年)に宮内庁が整備工事を実施した。 ==資料== *「能登国鹿島郡小田中村御墓ノ図」:石川県立図書館 *「能登小田中親王塚分間図」:石川県立図書館 *森田平次『能登志徴』 *1990「小田中新王塚古墳(大入杵命墓)・亀塚古墳調査見学記」『石川考古』201 *2014「大入杵命墓の墳丘外形調査および出土品調査報告」『書陵部紀要』66[https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Publication/000/000006650000/4a9a09b2bdfc46179897c4a20043f63b] [[category:石川県]]
大入杵命墓
に戻る。
表示
ページ
議論
ソースを表示
履歴
個人用ツール
案内
神殿大観 メイン
神殿大観 総目次
おまかせ表示
検索
ツールボックス
リンク元
関連ページの更新状況
ファイルをアップロード
特別ページ