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大和・鳳閣寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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[[ファイル:鳳閣寺-01.jpeg|thumb|500px| ]] '''鳳閣寺'''(ほうかくじ)は、奈良県吉野郡黒滝村にある[[当山]][[修験]]の諸国総袈裟頭を務めた[[修験道の本山寺院|本山寺院]]。当山修験の開祖[[聖宝]]の墓所。[[醍醐寺]]の[[江戸触頭]]を務めた[[江戸・鳳閣寺]]が兼務した。本尊は[[如意輪観音]]。[[聖宝墓|聖宝の墓]]は寺の奥の山上にある。[[真言宗鳳閣寺派]]。通称は'''鳥栖鳳閣寺'''、'''鳥栖寺'''。 山号は百螺山。[[大峰山]]も参照。 == 歴史 == [[役小角]]の創建で、[[空海]]も滞在したという。当初は万塔山鳥栖庵と称したとも。寛平7年(895)、聖宝が吉野に入り、行場を開く拠点として鳳閣寺に真言院を建立。昌泰2年(899)、伝法灌頂を多数の弟子に授けた。修験道独自の恵印灌頂の起源とされる。死後は弟子貞崇が墓所を築いた。今は南北朝時代建立の石塔が建てられている。 江戸時代、徳川幕府から当山派の全ての袈裟筋(師弟関係、本末関係、法流)を統轄する諸国総袈裟頭に任じられた。ただし江戸戒定院が鳳閣寺兼務を命じられ、さらに幕府と宗派との連絡役である[[江戸触頭]]に任命されたため、実質的には江戸戒定院が鳳閣寺の役職と権威を負うこととなり、[[江戸・鳳閣寺|鳳閣寺]]と名乗った。 明治維新で江戸鳳閣寺は廃絶。吉野鳳閣寺は[[真言宗醍醐派]]に属したが、戦後、独立。 (国史大辞典、日本歴史地名大系ほか) ==画像== <gallery widths="300" heights="300" perrow="3"> file:鳳閣寺-01.jpeg| file:鳳閣寺-02.jpeg| file:鳳閣寺-03.jpeg| file:鳳閣寺-04.jpeg| file:鳳閣寺-05.jpeg| file:鳳閣寺-06.jpeg| file:鳳閣寺-07.jpeg| file:鳳閣寺-08.jpeg|「真言宗鳳閣寺派宗務本庁」 file:鳳閣寺-09.jpeg|「宇多天皇勅願所・恵印灌頂根本道場・日本総袈裟頭鳳閣寺」 file:鳳閣寺-10.jpeg| file:鳳閣寺-11.jpeg| file:鳳閣寺-12.jpeg| file:鳳閣寺-13.jpeg| file:鳳閣寺-14.jpeg|恵印灌頂根本道場 file:鳳閣寺-15.jpeg|浜田弘伝墓。聖宝墓を模している file:鳳閣寺-16.jpeg| file:鳳閣寺-17.jpeg| file:鳳閣寺-18.jpeg| file:鳳閣寺-19.jpeg| ファイル:鳳閣寺-29.jpg file:鳳閣寺-20.jpeg|梵鐘銘文 file:鳳閣寺-21.jpeg| file:鳳閣寺-22.jpeg| file:鳳閣寺-23.jpeg| file:鳳閣寺-24.jpeg| file:鳳閣寺-25.jpeg| file:鳳閣寺-26.jpeg| file:鳳閣寺-27.jpeg| file:鳳閣寺-28金峯山寺蔵王堂遠景.jpeg|金峯山寺蔵王堂 file:鳥住春日神社-01.jpeg|鳥住春日神社 file:鳥住春日神社-02.jpeg| file:鳥住春日神社-03.jpeg| </gallery> [[Category:奈良県]]
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