ようこそ『神殿大観』へ。ただいま
試験運用中
です。
常明寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
常明寺
のソース
移動:
案内
,
検索
以下に示された理由により、このページの編集を行うことができません:
この操作は、
利用者
のグループに属する利用者のみが実行できます。
ページ
名前空間にあるページを編集する権限がありません。
このページのソースを閲覧し、コピーすることができます:
[[ファイル:Jomyoji-ato (8).jpg|thumb|500px|常明寺跡]] '''常明寺'''(じょうみょうじ)は伊勢国度会郡(三重県伊勢市倭町)にあった[[天台宗]]寺院。[[度会氏]](二門)の氏寺。[[倭姫命]]の[[宇治山田陵墓参考地|陵墓の伝承地]]が隣接する。[[日蓮旧跡]]ともされる。[[伊勢神宮関連旧跡]]。廃絶。'''尾上寺'''。'''泉寺'''。 == 歴史 == [[ファイル:Jomyoji-ato (7).jpg|神落萱社|thumb|500px]] [[ファイル:Jomyoji-ato (3).jpg|宇治山田陵墓参考地|thumb|500px]] [[継体天皇]]代の創建。『倭姫命世記』によると、[[雄略天皇]]23年2月、尾上山峰に退いて、「石隠」したとあるが、この「尾上山峰」が常明寺のある小山で、境内の石窟が倭姫命の墳墓であると言われる。現在は[[宇治山田陵墓参考地]]に指定されている。 [[聖徳太子]]が再興したとされる。『神祇本源』所載の「尾上寺」や「泉寺」の後身という見解がある。また[[外宮]]禰宜の檜垣常明が再興したため、この名前がついたという説があるが、彼の時代以前からこの名前で存在していることが確認されているので否定されている。 日蓮が伊勢神宮に参拝した時、常明寺の井戸([[誓願の井戸]])で「三大誓願」を建てたという。 もと[[真言宗]]だったが寛永年間に天台宗に改宗。『毎事問』によれば、このあたりが昔刑場で墓地でもあったことを聞いた長官の檜垣常晨は後の世に再び刑場に使われないように1629年(寛永6年)の[[遷宮]]の際の古材の鳥居をここに建てたという。ところが、この鳥居を巡って事件が起きる。1675年(延宝3年)、常明寺が「両太神宮内院高日山太神宮寺」の扁額をこの鳥居に掲げた。神宮は、「仏寺にあるまじきこと」として[[山田奉行]]に訴えたところ、扁額を取り下げさせ、鳥居は朽ちるに任せた。しかし、常明寺では夜半に古木で修繕を加えて、明治維新まで存続させたという。 境内には[[神落萱社]]があり、現存している。正月8日には外宮神官が参向して祭典を行った。 常明寺は明治維新の神仏分離で廃絶。1882年(明治15年)、常明寺跡に[[伊勢・欣浄寺]]が復興されたがのち移転した。 == 伽藍 == [[ファイル:日蓮大誓願霊場・入口 (3).JPG|日蓮大誓願霊場|thumb|500px]] *本堂 *[[神落萱社]] *[[誓願の井戸]] *[[宇治山田陵墓参考地]] <Gallery widths="300" heights="200" perrow="3"> ファイル:Jomyoji-ato (1).jpg|常明寺跡入口 ファイル:Jomyoji-ato (8).jpg|常明寺跡 ファイル:Jomyoji-ato (2).jpg|神落萱社 ファイル:Jomyoji-ato (5).jpg|神落萱社 ファイル:Jomyoji-ato (6).jpg|神落萱社 ファイル:Jomyoji-ato (7).jpg|神落萱社 ファイル:Jomyoji-ato (3).jpg|宇治山田陵墓参考地 ファイル:Jomyoji-ato (4).jpg|宇治山田陵墓参考地 ファイル:日蓮大誓願霊場・井戸.JPG|日蓮大誓願霊場。日蓮の「誓いの井戸」 ファイル:日蓮大誓願霊場・入口 (3).JPG|日蓮大誓願霊場 ファイル:日蓮大誓願霊場・宝塔・全体 (2).JPG|日蓮大誓願霊場 </gallery> ==参考文献== *『宇治山田市史』 *『神宮典略』[https://dl.ndl.go.jp/pid/1215170/1/332] [[category:三重県]]
常明寺
に戻る。
表示
ページ
議論
ソースを表示
履歴
個人用ツール
案内
神殿大観 メイン
神殿大観 総目次
おまかせ表示
検索
ツールボックス
リンク元
関連ページの更新状況
ファイルをアップロード
特別ページ