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諏訪・阿弥陀寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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'''阿弥陀寺'''(あみだじ)は、長野県諏訪市にある[[弾誓旧跡]]の[[浄土宗]]寺院。念仏行者たちがよく訪れた。[[浄土宗知恩院派]]。'''唐沢阿弥陀寺'''。'''法国山'''。(参考:同名寺院[[阿弥陀寺]]) == 概要 == 1595年(文禄4年)、上諏訪の'''河西浄西'''という念仏行者が開き、その3年後の1598年(慶長3年)、廻国修行の途中に諏訪を訪れた[[弾誓]](1552-1613)が5年間滞在し開山となった。その後、著名な念仏行者が訪れ、11代[[徳本]](1758-1818)、12代徳住、21代宮沢説音(1861-1928、[[知恩寺]]67世)などが住職を務めた。近代では[[山崎弁栄]](1959-1920)が1919年(大正8年)8月に別時念仏を行って以来、[[光明主義]]の聖地となり、現在まで真生同盟や光明会の別時念仏が行われている。[[知恩院]]85世の藤井実応(1898-1992)、同86世の中村康隆(1096-2008)もこの別時念仏に通っていたという。1993年(平成5年)4月21日、火災で主要伽藍を焼失したが、その後再建され、1997年(平成9年)10月4日に復興落慶法要が行われた。市内の正願寺が兼務する。 ==伽藍== 現在の本堂は、[[善光寺大本願]]の本堂(本誓殿)を移築したもの。1902年(明治35年)(1895年(明治28年)ともいう)に建造された入母屋造の堂宇で、1996年(平成8年)6月に阿弥陀寺に移築された。庫裡は1997年(平成9年)に再建。庫裡の裏手の崖上には懸造の'''岩屋堂'''があり、洞窟の中に[[十一面観音]]の石仏を祀る。鎮守として'''五社宮'''がある。本堂脇には「光明主義御垂示」の磨崖碑、参道途中には、弾誓の爪彫名号碑、徳本や徳住の磨崖名号碑、[[幡随意]](白道)の名号碑がある。また山崎弁栄墓、河西浄西墓、真生会五輪塔がある。 == 参考文献 == *由緒書「法国山阿弥陀寺 信州諏訪唐澤山」 *土屋光道、1997(平成9)「信州唐沢山阿弥陀寺再建の奇蹟」『浄土』63-11 [[Category:長野県]]
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