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加賀・弘願寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年12月31日 (金)
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元は加賀国河北郡(加賀郡)鳥越村(石川県河北郡津幡町鳥越)にあった。現在の大国主神社のあたりに土塁や堀の遺構が残っている。 | 元は加賀国河北郡(加賀郡)鳥越村(石川県河北郡津幡町鳥越)にあった。現在の大国主神社のあたりに土塁や堀の遺構が残っている。 | ||
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2021年12月31日 (金) 時点における最新版
弘願寺は石川県河北郡津幡町加賀爪にある浄土真宗寺院。元は鳥越にあり、一向一揆の中核的寺院の一つだった。移転後もしばらくは鳥越弘願寺と呼ばれた。津幡弘願寺。浄土真宗東本願寺派。山号は鳥越山。 (参考:同名寺院弘願寺)
本願寺一族の玄頓が創建。善如の弟とも、覚如の子ともいう。 元は加賀国河北郡(加賀郡)鳥越村(石川県河北郡津幡町鳥越)にあった。現在の大国主神社のあたりに土塁や堀の遺構が残っている。
1584年に佐々成政に追われて能登国羽咋郡堀松(石川県羽咋郡志賀町堀松)に移転。金沢を経て1609年に現在地に移ったという