|
ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
八白宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
(版間での差分)
(?資料) |
(?資料) |
||
| 5行: | 5行: | ||
*楊海英1997「オルドス・モンゴルの祖先祭祀―末子トロイ・エジン祭祀と八白宮の関連を中心に」[http://doi.org/10.15021/00004164] | *楊海英1997「オルドス・モンゴルの祖先祭祀―末子トロイ・エジン祭祀と八白宮の関連を中心に」[http://doi.org/10.15021/00004164] | ||
*楊海英1998「「金書」研究への序説」[http://doi.org/10.15021/00002308] | *楊海英1998「「金書」研究への序説」[http://doi.org/10.15021/00002308] | ||
| + | *楊海英1999「モンゴル研究のパラダイム―モンゴルにおける「白いスゥルデ」の継承と祭祀」[https://doi.org/10.15021/00003524] | ||
*楊海英2003「儀礼が維持する集団の歴史的記憶―道光年間における祭祀者ダルハトの訴訟事件が反映する歴史観」[http://doi.org/10.15021/00004028] | *楊海英2003「儀礼が維持する集団の歴史的記憶―道光年間における祭祀者ダルハトの訴訟事件が反映する歴史観」[http://doi.org/10.15021/00004028] | ||
*楊海英2004『チンギス・ハーン祭祀―試みとしての歴史人類学的再構成』 | *楊海英2004『チンギス・ハーン祭祀―試みとしての歴史人類学的再構成』 | ||
2023年5月23日 (火) 時点における版
八白宮は内モンゴル自治区オルドス市にあったチンギスハンの霊廟。八白室とも。固定化してチンギスハン陵となった。
資料
- 楊海英(大野旭)1994『オルドス・モンゴル族の社会構造―ヤスの機能とその歴史的変容』[1]
- 楊海英1997「オルドス・モンゴルの祖先祭祀―末子トロイ・エジン祭祀と八白宮の関連を中心に」[2]
- 楊海英1998「「金書」研究への序説」[3]
- 楊海英1999「モンゴル研究のパラダイム―モンゴルにおける「白いスゥルデ」の継承と祭祀」[4]
- 楊海英2003「儀礼が維持する集団の歴史的記憶―道光年間における祭祀者ダルハトの訴訟事件が反映する歴史観」[5]
- 楊海英2004『チンギス・ハーン祭祀―試みとしての歴史人類学的再構成』
- 楊海英2017「中国が政治利用するチンギス・ハーン―「中華民族の英雄」と資源化するモンゴルの歴史と文化」[6]
- 楊海英2020『モンゴルの親族組織と政治祭祀―オボク・ヤス(骨)構造』
- 楊海英2023「チンギス・ハーン祭祀に関する金書数種」[7]
- ホルチャバートル(Solonggod L. Hurcabaatur)1999「チンギス・ハーン祭祀―オルドス・モンゴルの主催する軍神スゥルデと八百宮の祭祀儀礼」『国立民族学博物館調査報告』11(ドイツ語?)
- ホルチャバートル・楊海英1997「史料紹介・モンゴルの祭祀用絵画について―新発見の八白宮所蔵絵画」『内陸アジア史研究』12
- 橘誠2011「ボグド・ハーン政権におけるチンギス・ハーンの表象―八白宮のフレー移転計画をめぐって」[8]
- 山田勅之2014「中国が政治利用するチンギス・ハーン―「中華民族の英雄」と資源化するモンゴルの歴史と文化」[9]
- 山田勅之2015「内モンゴル自治区チンギスハーン陵訪問」『人権問題研究室室報』54[10]
- エルデニバートル・M.2007「モンゴル文写本『聖チンギス・ハーン祭祀経』の若干の問題」[11]
- エルデニバートル・M.2005「『十善法の白史』に見るチンギス・ハーンの二重神格像」[12]