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檜山護国神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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== 歴史 == | == 歴史 == | ||
1869年(明治2年)5月創建(『靖国神社誌』)。 | 1869年(明治2年)5月創建(『靖国神社誌』)。 | ||
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| + | *明治2年4月9日:新政府軍が乙部に上陸し、戦闘始まる。同月、松前藩が相撲取山に「霊所」を開設。以後の戦死者の遺体は江差会議所に運ばれ、埋葬した。『軍中見聞記』に「万事神葬祭唯今之処にては仮埋之よしに御座候」とあり、『藤枝文書』に「角力山に霊神を求め此処におきて神葬祭にて鎮祭趣被仰付、時神主藤枝主税・藤枝正延相勤め祭主に而、乙部神主を頼み申候」とある。 | ||
| + | *5月18日:榎本軍降伏 | ||
| + | *5月19日:問屋中が御旗一対を奉納。この日までに鳥居を建立(軍中見聞記) | ||
| + | *5月21日:藤枝主税を斎主として祭典。埋葬した73柱を祀った。松前藩、備後福山藩、山口藩、徳山藩、弘前藩、岡山藩、久留米藩、大野藩、水戸藩、函館府から各5人が参列。この時点で松前藩の一部は本埋葬だったがその他は仮埋葬だった。 | ||
| + | *5月22日:姥神大神宮で山口藩と徳山藩が合同で霊神祭。 | ||
| + | *5月下旬:区画整備が終わり、墓石建立が本格化。墓石は上ノ国塩吹村のものを用い、敷石、石柵には越前石を使用した。 | ||
| + | *9月7日:上旬に完成。新政府側から森清蔵らが検分 | ||
| + | *10月19日:25〜27日に祭典執行を告知 | ||
| + | *10月25日:藤枝政延を斎主として祭典。三日間の予定だったが、26・27日は雨天延期となり、25・28・29日に行われた。28日に藩主代理として今井晦輔が参拝。式次第も残る。92柱を祀る。明治元年戦死の松前藩17柱、江差大病院で戦傷死した2柱が追加された。攻め込まれた状況での明治元年の松前藩戦死者については「遺骸が埋葬されているかどうかは疑問のあるところ」(江差町史)という。 | ||
| + | *以後、5月17日と10月17日を祭日とした。 | ||
| + | *明治3年10月:山口藩が森清蔵を派遣して祭祀料を奉納 | ||
| + | *明治5年5月17日:前年の廃藩置県のため、「供祭」(共祭?)となった。以後、年に一度6月17日とする。 | ||
| + | *明治9年4月17丹生:招魂社を設けるように指示。墳墓地と分離。祭日を7/20に変更 | ||
| + | *明治13年6月:祭日を7/8に変更 | ||
| + | *明治34年7月16日:改修起工。 | ||
| + | *明治35年6月18日:竣工。総工費3919円6銭。 | ||
| + | *大正11年3月31日:5月17日に変更 | ||
| + | *昭和14年3月15日:江差護国神社と改称 | ||
| + | *昭和22年7月1日:松之岱神社と改称 | ||
2024年2月21日 (水) 時点における版
檜山護国神社(ひやま・ごこく・じんじゃ)は北海道檜山郡江差町本町にある招魂社。官祭招魂社。指定外護国神社。江差招魂社、江差護国神社、松之岱神社。江差官修墳墓が隣接。近くに本願寺江差別院、真宗大谷派江差別院がある。
歴史
1869年(明治2年)5月創建(『靖国神社誌』)。
- 明治2年4月9日:新政府軍が乙部に上陸し、戦闘始まる。同月、松前藩が相撲取山に「霊所」を開設。以後の戦死者の遺体は江差会議所に運ばれ、埋葬した。『軍中見聞記』に「万事神葬祭唯今之処にては仮埋之よしに御座候」とあり、『藤枝文書』に「角力山に霊神を求め此処におきて神葬祭にて鎮祭趣被仰付、時神主藤枝主税・藤枝正延相勤め祭主に而、乙部神主を頼み申候」とある。
- 5月18日:榎本軍降伏
- 5月19日:問屋中が御旗一対を奉納。この日までに鳥居を建立(軍中見聞記)
- 5月21日:藤枝主税を斎主として祭典。埋葬した73柱を祀った。松前藩、備後福山藩、山口藩、徳山藩、弘前藩、岡山藩、久留米藩、大野藩、水戸藩、函館府から各5人が参列。この時点で松前藩の一部は本埋葬だったがその他は仮埋葬だった。
- 5月22日:姥神大神宮で山口藩と徳山藩が合同で霊神祭。
- 5月下旬:区画整備が終わり、墓石建立が本格化。墓石は上ノ国塩吹村のものを用い、敷石、石柵には越前石を使用した。
- 9月7日:上旬に完成。新政府側から森清蔵らが検分
- 10月19日:25〜27日に祭典執行を告知
- 10月25日:藤枝政延を斎主として祭典。三日間の予定だったが、26・27日は雨天延期となり、25・28・29日に行われた。28日に藩主代理として今井晦輔が参拝。式次第も残る。92柱を祀る。明治元年戦死の松前藩17柱、江差大病院で戦傷死した2柱が追加された。攻め込まれた状況での明治元年の松前藩戦死者については「遺骸が埋葬されているかどうかは疑問のあるところ」(江差町史)という。
- 以後、5月17日と10月17日を祭日とした。
- 明治3年10月:山口藩が森清蔵を派遣して祭祀料を奉納
- 明治5年5月17日:前年の廃藩置県のため、「供祭」(共祭?)となった。以後、年に一度6月17日とする。
- 明治9年4月17丹生:招魂社を設けるように指示。墳墓地と分離。祭日を7/20に変更
- 明治13年6月:祭日を7/8に変更
- 明治34年7月16日:改修起工。
- 明治35年6月18日:竣工。総工費3919円6銭。
- 大正11年3月31日:5月17日に変更
- 昭和14年3月15日:江差護国神社と改称
- 昭和22年7月1日:松之岱神社と改称