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馬出招魂社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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2025年5月17日 (土) 時点における版
馬出招魂社(まいだし・しょうこんしゃ)は福岡県福岡市東区馬出にあった招魂社。官祭招魂社。妙見招魂社を合併合祀。福岡県護国神社に合祀された。旌忠祠、松原招魂社、千代松原招魂社、妙見馬出招魂社。福岡招魂社。福岡護国神社。馬出官修墳墓、千代松原陸軍墓地もあった。
目次 |
歴史
- 1868年(明治1年)11月、福岡藩主黒田長知が戊辰戦争の戦没者を祀って創建し、旌忠祠と称した。
- 1906年(明治39年)12月27日、妙見招魂社を馬出招魂社の隣接地に遷座。「妙見馬出招魂社」と称す。1938年(昭和13年)1月21日、両招魂社を合祀して、「福岡招魂社」と改称した(『靖国神社百年史』では1936年(昭和11年)とする)。
- 1938年(昭和13年)4月29日、日清戦争以来の戦没者を合祀。
- 1939年(昭和14年)4月1日、「福岡護国神社」となる。
- 1943年(昭和18年)4月30日、福岡県護国神社に合祀された。
祭神
靖国神社誌では103柱[1]
画像
資料
- 「旌忠祠碑」銘[2]
- 「西南役福岡挙兵記念碑銘」[3]