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妙王院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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'''妙王院'''(みょうおういん)は、常陸国茨城郡(茨城県水戸市)栗崎にあった[[修験道]][[本山派]]の寺院。本山派[[二十七先達]]の一つ。廃絶。明応院とも。通称は'''二階堂'''。(参考:同名寺院[[二階堂]]) | '''妙王院'''(みょうおういん)は、常陸国茨城郡(茨城県水戸市)栗崎にあった[[修験道]][[本山派]]の寺院。本山派[[二十七先達]]の一つ。廃絶。明応院とも。通称は'''二階堂'''。(参考:同名寺院[[二階堂]]) | ||
| - | + | 跡地に芳賀神社がある。 | |
== 歴史 == | == 歴史 == | ||
| - | + | 創建不詳。佐竹氏一族の宥円(戸村義和の子)という修験者が住職となり、修験寺院となる。 | |
| + | [[入四間権現]](御岩神社)の別当となった。 | ||
*1663年:『開基帳』成立。「武州越生山本坊下住」「芳賀山薬王寺明応院」とある。[[越生山本坊]]の配下だったか。 | *1663年:『開基帳』成立。「武州越生山本坊下住」「芳賀山薬王寺明応院」とある。[[越生山本坊]]の配下だったか。 | ||
| - | * | + | *1684年12月7日:[[徳川光圀]]の請願で、[[聖護院門跡]]が妙王院宥学を大先達に任命した。鎌倉将軍の先達を務めた鎌倉[[鎌倉・永福寺|二階堂永福寺]]に擬して「二階堂」と称す。配下に大先院、伍智院、八大坊の年行事3人を置き、新治郡全域、行方郡全域、那珂郡58村、下野国武茂組の山伏などの支配を命じられる。(新編常陸国志) |
*1697年12月:芳賀神社社殿改築で二階堂大先達が奉仕[https://dl.ndl.go.jp/pid/12266294/1/372] | *1697年12月:芳賀神社社殿改築で二階堂大先達が奉仕[https://dl.ndl.go.jp/pid/12266294/1/372] | ||
| - | * | + | *1766年:芳賀神社、現在地に遷座か[https://dl.ndl.go.jp/pid/12266294/1/372] |
| + | *1869年8月17日:水戸藩、[[神祇官]]に二階堂の還俗を報告した上で相当の官位を授けるように請願したが、却下される[https://dl.ndl.go.jp/pid/3035379/1/453?page=right] | ||
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2026年2月23日 (月) 時点における版
妙王院(みょうおういん)は、常陸国茨城郡(茨城県水戸市)栗崎にあった修験道本山派の寺院。本山派二十七先達の一つ。廃絶。明応院とも。通称は二階堂。(参考:同名寺院二階堂) 跡地に芳賀神社がある。
歴史
創建不詳。佐竹氏一族の宥円(戸村義和の子)という修験者が住職となり、修験寺院となる。 入四間権現(御岩神社)の別当となった。
- 1663年:『開基帳』成立。「武州越生山本坊下住」「芳賀山薬王寺明応院」とある。越生山本坊の配下だったか。
- 1684年12月7日:徳川光圀の請願で、聖護院門跡が妙王院宥学を大先達に任命した。鎌倉将軍の先達を務めた鎌倉二階堂永福寺に擬して「二階堂」と称す。配下に大先院、伍智院、八大坊の年行事3人を置き、新治郡全域、行方郡全域、那珂郡58村、下野国武茂組の山伏などの支配を命じられる。(新編常陸国志)
- 1697年12月:芳賀神社社殿改築で二階堂大先達が奉仕[1]
- 1766年:芳賀神社、現在地に遷座か[2]
- 1869年8月17日:水戸藩、神祇官に二階堂の還俗を報告した上で相当の官位を授けるように請願したが、却下される[3]