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下野・薬師寺戒壇院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2017年7月24日 (月)
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- | '''薬師寺戒壇院''' | + | '''薬師寺戒壇院'''(やくしじ・かいだんいん)は、栃木県下野市の[[下野・薬師寺]]にあった[[戒壇院]]。[[東大寺戒壇院]]、[[観世音寺戒壇院]]と共に三戒壇の一つ。 |
== 歴史 == | == 歴史 == |
2017年7月24日 (月) 時点における最新版
薬師寺戒壇院(やくしじ・かいだんいん)は、栃木県下野市の下野・薬師寺にあった戒壇院。東大寺戒壇院、観世音寺戒壇院と共に三戒壇の一つ。
歴史
天平宝字5年(761)創建。平安時代以降、延暦寺戒壇院に押されて衰退。中世、密厳が薬師寺中興となり、戒壇院を復興。元亀元年(1570)小田原北条氏と結城氏の戦闘で焼失。 慶長年間に戒壇堂を再建した。
天和元年(1681)から享保4年(1719)までにかけて薬師寺の後身の下野安国寺と下野・龍興寺が戒壇の帰属をめぐって争っている。天保9年(1838)和解が成立して戒壇は安国寺に帰属し、龍興寺は鑑真墓を守護するとされた。(日本歴史地名大系)