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永思堂神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年7月7日 (日)
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- | + | 摂津国兎原郡魚崎の酒造家の山本良貴は山崎闇斎(1619-1682、垂加霊社)高弟の浅見絅斎(1652-1712)に師事。1698年5月、自宅に闇斎神霊を祀り、日々祭祀を怠らなかったが、本業が忙しくなったため、同年、実弟で同じく絅斎に師事する山本復斎(1680-1730、守境霊社)を帰郷させて奉仕させた。復斎は私塾を開き、雀松精舎と称した。 | |
- | 1726年には三賢祠堂とも呼ばれており、浅見絅斎と高田蒙斎も祀られていたらしい。高田蒙斎は高田未白(1630- | + | 1726年には三賢祠堂とも呼ばれており、浅見絅斎と高田蒙斎も祀られていたらしい。高田蒙斎は高田未白(1630-1715)のことと思われ、やはり闇斎の弟子で、復斎の垂加神道の師だった。1874年の文書では祭神に[[本居宣長]]と[[平田篤胤]]の[[国学者]]2柱が加えられている。1898年再建。1995年、阪神淡路大震災で倒壊するが2019年3月31日に現在地に遷座して再建。現在の祭神には山本復斎も加えられているが国学者2柱はない。 |
(兵庫県史蹟名勝天然記念物調査報告書[https://books.google.co.jp/books?id=gayGh3hgiGYC&pg=PP50]、提供資料) | (兵庫県史蹟名勝天然記念物調査報告書[https://books.google.co.jp/books?id=gayGh3hgiGYC&pg=PP50]、提供資料) |
2019年7月7日 (日) 時点における最新版
永思堂神社は兵庫県神戸市東灘区魚崎中町にある垂加神道の霊社。祭神は山崎闇斎、浅見絅斎、高田蒙斎(高田未白か)、山本復斎。垂加霊社、永思堂、三賢祠堂とも。
歴史
摂津国兎原郡魚崎の酒造家の山本良貴は山崎闇斎(1619-1682、垂加霊社)高弟の浅見絅斎(1652-1712)に師事。1698年5月、自宅に闇斎神霊を祀り、日々祭祀を怠らなかったが、本業が忙しくなったため、同年、実弟で同じく絅斎に師事する山本復斎(1680-1730、守境霊社)を帰郷させて奉仕させた。復斎は私塾を開き、雀松精舎と称した。
1726年には三賢祠堂とも呼ばれており、浅見絅斎と高田蒙斎も祀られていたらしい。高田蒙斎は高田未白(1630-1715)のことと思われ、やはり闇斎の弟子で、復斎の垂加神道の師だった。1874年の文書では祭神に本居宣長と平田篤胤の国学者2柱が加えられている。1898年再建。1995年、阪神淡路大震災で倒壊するが2019年3月31日に現在地に遷座して再建。現在の祭神には山本復斎も加えられているが国学者2柱はない。
(兵庫県史蹟名勝天然記念物調査報告書[1]、提供資料)