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キリスト教カトリック教会
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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2019年12月24日 (火) 時点における版
カトリック教会は、キリスト教西方教会の一教派。バチカンの教皇を首長とする。その名の通り「普遍」を標榜するカトリック教会を唯一のキリスト教会と認めない立場からは「ローマ・カトリック教会」と呼ばれる。
目次 |
概要
歴史
古代:ローマ帝国時代
- 313年、ミラノ勅令。キリスト教の公認
- 325年、コンスタンティヌスはニカイア公会議を開催。三位一体論を承認。
- テオドシウスがキリスト教を国教化
- 381年、コンスタンティノープル公会議。アリウス派を異端と認定。
- 395年、ローマ帝国が東西に分裂。
- 451年、カルケドン公会議。
- 529年、ベネディクトは、モンテ・カッシーノに修道院を建て制度を定めた。ベネディクト会が成立。修道院制度の基礎をつくる
- グレゴリウス1世、教皇権の基礎を確立。カトリック教会の実質的な組織者。東ローマ帝国で聖像破壊運動が起こり、教皇は東ローマ帝国皇帝を異端として断罪。第2ニカイア公会議で、聖画像の崇敬を承認する。またグレゴリオ聖歌を定めた。
- レオ3世は、フランク王国のカール大帝と手を結び、擁立した。
中世:教皇権力の増長
- 962年、オットー大帝が教皇ヨハネス12世から加冠された。神聖ローマ帝国が成立。
- 1054年、東西教会が相互破門。
- 1076年、カノッサの屈辱。皇帝を破門する。
- インノケンティウス3世のとき、教皇権が隆盛を極める。
- インノケンティウス3世は絶大な権力を有し、東方正教会を従属させるため、第4字十字軍を派遣しコンスタンティノープルを攻略。東ローマ帝国を崩壊へと導く
- また第4ラテラノ公会議を開催し、パンとぶどう酒はキリストの肉と血という化体説を公認。ワルド派、カタリ派を弾圧。
- 1177年、ワルドが「リヨンの貧者」を設立。ワルド派。現在まで続く
カタリ派は虐殺されて滅亡する。ドミニコ会の兵士が参加
- 1095年クレルモン公会議でエルサレム解放を宣言。最初の十字軍の派遣
- ドミニコ会やフランシスコ会が設立される
- ルネッサンス
- アヴィニョン捕囚と教会分裂
- トマス・アクィナス
近世:宗教改革
- 1517年、ルターが95箇条を発表。
- 1529年、カール5世はシュパイエル国会を開いたとき、ルター派の諸侯が抗議書を提出。プロテスタントの語源。
- 1598年、ナント勅令で、ユグノーを公認
- 1648年、ウエストファリア条約で信仰の自由を認める。
- ルイ14世は王権神授説を唱える。ナント勅令を廃止。ユグノーを弾圧。
- 1773年、イエズス会解散。1814年復興。
- 1789年、フランス革命。
- 1801年、ナポレオンが教皇ピウス7世と条約。
- 1806年、神聖ローマ帝国が崩壊。
近代
- 1870年、イタリア諸侯軍がローマを占領。教皇領がなくなる。
- 第1バチカン公会議を開催。教皇不可謬説
- 1929年、イタリア政府とラテラノ条約を締結
信仰
聖地と聖堂
中東
パレスチナ
北欧
デンマーク
- ロスキレ大聖堂:歴代王室の墳墓がある。
リトアニア
- ヴィリニュス大聖堂:リトアニアを代表する聖堂。もと雷神を祀る神殿だったという。
東欧
チェコ
- 聖ヤン・ネポムツキー巡礼教会:殉教者を祀る。巡礼地となっている。
- 聖バルボラ教会:鉱山労働者の守護聖人聖バルボラを祀る。
ハンガリー
- 聖イシュトヴァーン大聖堂:初代国王イシュトヴァーン1世の右手のミイラがある。
ルクセンブルク
- ノートルダム寺院:王家の墓がある
西欧
オランダ
- 聖セルファース教会:オランダ最古の教会の一つ。
ドイツ
- ケルン大聖堂:東方三博士の聖遺物がある。
イタリア
- ヴェネチアの聖マルコ大聖堂:聖マルコを祀る。
- ミラノ大聖堂:
ヴァチカン
- サン・ピエトロ大聖堂:聖ペトロの墓。
スペイン
- サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂:聖ヤコブの墓。
マルタ共和国
- タピーヌ聖堂:マリア崇敬の聖地
ポルトガル
オーストリア
- シュテファン大聖堂:ハプスブルク家の墳墓(内臓を納める)。