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飯豊天皇旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | '''飯豊青皇女''' | + | '''飯豊青皇女'''(いいとよのあおのひめ)は、[[清寧天皇]]の崩御後に一時政務を見たとされる皇族。後世、'''飯豊天皇'''(いいとよてんのう)とも呼ばれる。[[履中天皇]]皇女という説と、[[市辺押磐皇子]]の王女という説があるが、現在の皇室では後者を用いている。現在の日本政府・皇室の見解では正式な天皇ではないと思われるが、[[飯豊天皇陵|陵墓]]は[[天皇陵]]として位置づけてられている。「飯豊天皇」の表記は『扶桑略記』(平安時代後期)が初出。 |
==奉斎== | ==奉斎== | ||
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==旧跡一覧== | ==旧跡一覧== | ||
- | *[[忍海角刺宮]] | + | *[[忍海角刺宮]]:奈良県葛城市忍海の角刺神社が伝承地。 |
*[[飯豊山]]:山形県・福島県・新潟県にまたがる霊山。『陸奥国風土記』逸文に山の名の由来として諸説あげる中の一つに「飯豊青尊が物部臣を派遣して幣帛を奉った。よって山の名とする」とある。 | *[[飯豊山]]:山形県・福島県・新潟県にまたがる霊山。『陸奥国風土記』逸文に山の名の由来として諸説あげる中の一つに「飯豊青尊が物部臣を派遣して幣帛を奉った。よって山の名とする」とある。 | ||
[[category:人物旧跡]] | [[category:人物旧跡]] |
2020年1月5日 (日) 時点における版
飯豊青皇女(いいとよのあおのひめ)は、清寧天皇の崩御後に一時政務を見たとされる皇族。後世、飯豊天皇(いいとよてんのう)とも呼ばれる。履中天皇皇女という説と、市辺押磐皇子の王女という説があるが、現在の皇室では後者を用いている。現在の日本政府・皇室の見解では正式な天皇ではないと思われるが、陵墓は天皇陵として位置づけてられている。「飯豊天皇」の表記は『扶桑略記』(平安時代後期)が初出。