ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

飯豊天皇旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年1月5日 (日)

(版間での差分)
移動: 案内, 検索
 
(間の1版分が非表示)
1行: 1行:
-
'''飯豊青皇女'''(いいとよのあおのひめ)は、[[清寧天皇]]の崩御後に一時政務を見たとされる皇族。後世、'''飯豊天皇'''(いいとよてんのう)とも呼ばれる。[[履中天皇]]皇女という説と、[[市辺押磐皇子]]の王女という説があるが、現在の皇室では後者を用いている。現在の日本政府・皇室の見解では正式な天皇ではないと思われるが、[[飯豊天皇陵|陵墓]]は[[天皇陵]]として位置づけてられている。「飯豊天皇」の表記は『扶桑略記』(平安時代後期)が初出。
+
'''飯豊青皇女'''(いいとよのあおのひめ)は、[[清寧天皇]]の崩御後に一時政務を見たとされる皇族。天皇の和風諡号に似た'''忍海飯豊青尊'''を自ら称したといい、後世、'''飯豊天皇'''(いいとよてんのう)とも呼ばれる。'''飯豊王'''、'''青海皇女'''、'''忍海部皇女'''とも。
 +
 
 +
 
 +
[[履中天皇]]皇女という説と、[[市辺押磐皇子]]の王女という説があるが、現在の皇室では後者を用いている。現在の日本政府・皇室の見解では正式な天皇ではないと思われるが、[[飯豊天皇陵|陵墓]]は[[天皇陵]]として位置づけてられている。「飯豊天皇」の表記は『扶桑略記』(平安時代後期)が初出。
==奉斎==
==奉斎==
*[[角刺神社]]:奈良県葛城市忍海。忍海角刺宮跡。
*[[角刺神社]]:奈良県葛城市忍海。忍海角刺宮跡。
 +
*[[若狭・青海神社]]:福井県大飯郡高浜町青。官社。村社。
*[[飯豊天皇陵]]:奈良県葛城市北花内。治定。
*[[飯豊天皇陵]]:奈良県葛城市北花内。治定。

2020年1月5日 (日) 時点における最新版

飯豊青皇女(いいとよのあおのひめ)は、清寧天皇の崩御後に一時政務を見たとされる皇族。天皇の和風諡号に似た忍海飯豊青尊を自ら称したといい、後世、飯豊天皇(いいとよてんのう)とも呼ばれる。飯豊王青海皇女忍海部皇女とも。


履中天皇皇女という説と、市辺押磐皇子の王女という説があるが、現在の皇室では後者を用いている。現在の日本政府・皇室の見解では正式な天皇ではないと思われるが、陵墓天皇陵として位置づけてられている。「飯豊天皇」の表記は『扶桑略記』(平安時代後期)が初出。

奉斎

旧跡一覧

  • 忍海角刺宮:奈良県葛城市忍海の角刺神社が伝承地。
  • 飯豊山:山形県・福島県・新潟県にまたがる霊山。『陸奥国風土記』逸文に山の名の由来として諸説あげる中の一つに「飯豊青尊が物部臣を派遣して幣帛を奉った。よって山の名とする」とある。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E9%A3%AF%E8%B1%8A%E5%A4%A9%E7%9A%87%E6%97%A7%E8%B7%A1」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール