ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
観世音寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年8月12日 (水)
(版間での差分)
(?子院) |
|||
(間の5版分が非表示) | |||
1行: | 1行: | ||
- | '''観世音寺'''(かんぜおんじ)は、福岡県太宰府市にある[[天台宗]] | + | '''観世音寺'''(かんぜおんじ)は、福岡県太宰府市にある[[天台宗]]寺院。古代[[大宰府]]の中心寺院。[[三戒壇]]の一つ[[観世音寺戒壇院]]がある(現在は独立寺院)。[[天智天皇]]が創建。[[斉明天皇]]菩提寺。「'''府大寺'''」とも。[[天台宗延暦寺派]]。[[玄昉墓]]がある。(参考:同名寺院[[観音寺]]) |
+ | ==伽藍== | ||
+ | ==子院== | ||
+ | '''観世音寺四十九院'''と呼ばれる子院群があった。1545年の文書に「末院四十九所」の文言があるのが初出。 1703年成立の『筑前国続風土記』には以下の48寺が記される。また近年の発掘調査で、観世音寺周辺からいくつかの寺院跡が見つかっている。観世音寺は中世に衰退したという定説に反して中世の隆盛を物語るものとして注目される。 | ||
+ | *護福院:1545年の文書に「末院四十九所」の「第一」とある。 | ||
+ | *光台寺: | ||
+ | *西福寺:『日本歴史地名大系』によると大宰府にあった西福寺または最福寺という名の寺院は四つあり、その関係は不詳という。 | ||
+ | *勝福寺: | ||
+ | *花蔵院:鎌倉時代には存在していた。『歴代鎮西要略』に武藤資頼が創建したとある。武藤資頼の墓所(観世音寺の北に墓が現存するが「安養院跡」と伝える)。華蔵院。 | ||
+ | *弘法寺: | ||
+ | *座禅寺: | ||
+ | *能満寺: | ||
+ | *極楽寺:平安時代には存在していた。『続本朝往生伝』に極楽寺の能円が千日法華講を行ったことが記される。『今昔物語集』にも類似の説話がある。続風土記』に「楽極寺」とあるのは誤りとみなされている。 | ||
+ | *宝満寺:[[宝満山]][[有智山寺]]か?? | ||
+ | *西福寺:重複か。 | ||
+ | *妙見寺: | ||
+ | *学業寺:大宰府学校院跡の周辺は小字「学業」といい、発掘調査で、鎌倉時代末の仏堂と推定される礎石建物跡と地蔵菩薩3体が出土した。 | ||
+ | *比留庵:比普庵? | ||
+ | *軍勝寺: | ||
+ | *春王寺: | ||
+ | *曼〓羅寺: | ||
+ | *勝軍寺: | ||
+ | *仏餉寺: | ||
+ | *安定寺: | ||
+ | *宗徳寺: | ||
+ | *学頭寺: | ||
+ | *光円寺: | ||
+ | *千辺寺:干辺寺? | ||
+ | *西林寺:福岡県糸島市志摩御床の浄土宗西林寺に当たるという伝承がある。 | ||
+ | *金光寺:時宗金光寺(廃絶)と関連するか。「今光寺」地区で寺院跡が見つかっている。 | ||
+ | *東林寺:平安時代には存在していた。長元8年6月20日の観世音寺牒案(『平安遺文2』所収)に記載。 | ||
+ | *御領院:御鎮寺とも。 | ||
+ | *吉祥院:平安時代には存在していた。 | ||
+ | *安養院:鎌倉時代には存在していた。『歴代鎮西要略』に武藤資頼が創建したとある。武藤資頼の妻の墓所。観世音寺の北の武藤資頼の墓の地が安養院跡と伝える。 | ||
+ | *知徳院:智徳院。 | ||
+ | *興安寺: | ||
+ | *常楽寺: | ||
+ | *正教院: | ||
+ | *胸臆院: | ||
+ | *光耀寺: | ||
+ | *知中院:和中院、本聖院とも。 | ||
+ | *皆願院: | ||
+ | *殊妙寺: | ||
+ | *愛楽寺: | ||
+ | *福聚院: | ||
+ | *端正院: | ||
+ | *随喜院: | ||
+ | *常光寺:常光院とも。 | ||
+ | *満堂寺:満堂院、愛楽寺とも。 | ||
+ | *戒楽院: | ||
+ | *[[観世音寺戒壇院|戒壇院]]: | ||
+ | *菩提寺:菩薩寺とも。 | ||
== 組織 == | == 組織 == | ||
===観世音寺別当=== | ===観世音寺別当=== | ||
- | |||
*満誓(生没年不詳)<723->:俗名は笠麻呂。[[元明上皇]]の崩御で出家。『万葉集』に歌収録。 | *満誓(生没年不詳)<723->:俗名は笠麻呂。[[元明上皇]]の崩御で出家。『万葉集』に歌収録。 | ||
+ | *[[玄昉]](?-746)<745-746>: | ||
*定勝()<>: | *定勝()<>: | ||
*暹宴()<1106->: | *暹宴()<1106->: | ||
20行: | 71行: | ||
*光豊()<828->: | *光豊()<828->: | ||
*恵運(798-869)<833->: | *恵運(798-869)<833->: | ||
- | + | ==文献== | |
+ | ===古典籍=== | ||
+ | *『観世音寺資財帳』 | ||
+ | *「観世音寺文書」 | ||
+ | ===書籍=== | ||
+ | *東京美術学校編『観世音寺大鏡』[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1119460] | ||
+ | *高倉洋彰1983「筑紫観世音寺史考」 | ||
+ | *高倉洋彰1978「観世音寺出土の唐三彩」 | ||
+ | *田村圓澄・小田富士雄1970「観世音寺と国分寺」 | ||
+ | *九州歴史資料館2007『観世音寺 遺物編1』 | ||
+ | *小田和利2010「朝倉橘広庭宮と観世音寺 宮の所在地についての再検討」 | ||
[[Category:福岡県]] | [[Category:福岡県]] |
2020年8月12日 (水) 時点における最新版
観世音寺(かんぜおんじ)は、福岡県太宰府市にある天台宗寺院。古代大宰府の中心寺院。三戒壇の一つ観世音寺戒壇院がある(現在は独立寺院)。天智天皇が創建。斉明天皇菩提寺。「府大寺」とも。天台宗延暦寺派。玄昉墓がある。(参考:同名寺院観音寺)
目次 |
伽藍
子院
観世音寺四十九院と呼ばれる子院群があった。1545年の文書に「末院四十九所」の文言があるのが初出。 1703年成立の『筑前国続風土記』には以下の48寺が記される。また近年の発掘調査で、観世音寺周辺からいくつかの寺院跡が見つかっている。観世音寺は中世に衰退したという定説に反して中世の隆盛を物語るものとして注目される。
- 護福院:1545年の文書に「末院四十九所」の「第一」とある。
- 光台寺:
- 西福寺:『日本歴史地名大系』によると大宰府にあった西福寺または最福寺という名の寺院は四つあり、その関係は不詳という。
- 勝福寺:
- 花蔵院:鎌倉時代には存在していた。『歴代鎮西要略』に武藤資頼が創建したとある。武藤資頼の墓所(観世音寺の北に墓が現存するが「安養院跡」と伝える)。華蔵院。
- 弘法寺:
- 座禅寺:
- 能満寺:
- 極楽寺:平安時代には存在していた。『続本朝往生伝』に極楽寺の能円が千日法華講を行ったことが記される。『今昔物語集』にも類似の説話がある。続風土記』に「楽極寺」とあるのは誤りとみなされている。
- 宝満寺:宝満山有智山寺か??
- 西福寺:重複か。
- 妙見寺:
- 学業寺:大宰府学校院跡の周辺は小字「学業」といい、発掘調査で、鎌倉時代末の仏堂と推定される礎石建物跡と地蔵菩薩3体が出土した。
- 比留庵:比普庵?
- 軍勝寺:
- 春王寺:
- 曼〓羅寺:
- 勝軍寺:
- 仏餉寺:
- 安定寺:
- 宗徳寺:
- 学頭寺:
- 光円寺:
- 千辺寺:干辺寺?
- 西林寺:福岡県糸島市志摩御床の浄土宗西林寺に当たるという伝承がある。
- 金光寺:時宗金光寺(廃絶)と関連するか。「今光寺」地区で寺院跡が見つかっている。
- 東林寺:平安時代には存在していた。長元8年6月20日の観世音寺牒案(『平安遺文2』所収)に記載。
- 御領院:御鎮寺とも。
- 吉祥院:平安時代には存在していた。
- 安養院:鎌倉時代には存在していた。『歴代鎮西要略』に武藤資頼が創建したとある。武藤資頼の妻の墓所。観世音寺の北の武藤資頼の墓の地が安養院跡と伝える。
- 知徳院:智徳院。
- 興安寺:
- 常楽寺:
- 正教院:
- 胸臆院:
- 光耀寺:
- 知中院:和中院、本聖院とも。
- 皆願院:
- 殊妙寺:
- 愛楽寺:
- 福聚院:
- 端正院:
- 随喜院:
- 常光寺:常光院とも。
- 満堂寺:満堂院、愛楽寺とも。
- 戒楽院:
- 戒壇院:
- 菩提寺:菩薩寺とも。
組織
観世音寺別当
- 満誓(生没年不詳)<723->:俗名は笠麻呂。元明上皇の崩御で出家。『万葉集』に歌収録。
- 玄昉(?-746)<745-746>:
- 定勝()<>:
- 暹宴()<1106->:
- 光恵()<>:
- ()<>:
- ()<>:
- 頼清()<>:
- ()<>:
- ()<>:
観世音寺講師
筑前国講師及び大宰府講師を兼任したという。
- 光豊()<828->:
- 恵運(798-869)<833->:
文献
古典籍
- 『観世音寺資財帳』
- 「観世音寺文書」
書籍
- 東京美術学校編『観世音寺大鏡』[1]
- 高倉洋彰1983「筑紫観世音寺史考」
- 高倉洋彰1978「観世音寺出土の唐三彩」
- 田村圓澄・小田富士雄1970「観世音寺と国分寺」
- 九州歴史資料館2007『観世音寺 遺物編1』
- 小田和利2010「朝倉橘広庭宮と観世音寺 宮の所在地についての再検討」