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京都・常楽寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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*3光覚(-1417-):忠誉。照覚。巧覚の子。[[延暦寺聖光院]]に住す。将軍護持僧。晩年に常楽寺に隠居。愚昧院と号す。 | *3光覚(-1417-):忠誉。照覚。巧覚の子。[[延暦寺聖光院]]に住す。将軍護持僧。晩年に常楽寺に隠居。愚昧院と号す。 | ||
*4空覚():光宗(光崇)。本願寺6世巧如の次男。存如の弟。光覚の猶子。 | *4空覚():光宗(光崇)。本願寺6世巧如の次男。存如の弟。光覚の猶子。 | ||
- | *5蓮覚():光信(光真)。空覚の子。正室は[[蓮如]] | + | *5蓮覚():光信(光真)。空覚の子。正室は[[蓮如]]の娘如慶。蓮如の命で[[願行寺]]を兼務。常楽台を常楽寺に改めたとも。文明年間、山科に常楽寺を創建。越中[[証願寺]]に隠居。興正寺蓮教(経豪)の義父。子に[[光善寺]]2世の光淳、證願寺昭尋(実賢)。 |
*6如覚(1468-1527):兼忠。蓮覚の長男。1527年8月13日死去。60歳。 | *6如覚(1468-1527):兼忠。蓮覚の長男。1527年8月13日死去。60歳。 | ||
*7実乗(1490-1534):光恵。如覚の子。正室は蓮如末娘の妙宗。天文3年7月8日死去。45歳。 | *7実乗(1490-1534):光恵。如覚の子。正室は蓮如末娘の妙宗。天文3年7月8日死去。45歳。 |
2021年1月9日 (土) 時点における版
常楽寺(じょうらくじ)は、京都府京都市下京区にある、存覚ゆかりの浄土真宗寺院。浄土真宗本願寺派。常楽台。今小路常楽寺。(参考:同名寺院常楽寺)
組織
歴代住職
- 1存覚(1290-1373):
- 2巧覚(1325-1391):光助。存覚の子。摂津・常楽寺を創建。
- 3光覚(-1417-):忠誉。照覚。巧覚の子。延暦寺聖光院に住す。将軍護持僧。晩年に常楽寺に隠居。愚昧院と号す。
- 4空覚():光宗(光崇)。本願寺6世巧如の次男。存如の弟。光覚の猶子。
- 5蓮覚():光信(光真)。空覚の子。正室は蓮如の娘如慶。蓮如の命で願行寺を兼務。常楽台を常楽寺に改めたとも。文明年間、山科に常楽寺を創建。越中証願寺に隠居。興正寺蓮教(経豪)の義父。子に光善寺2世の光淳、證願寺昭尋(実賢)。
- 6如覚(1468-1527):兼忠。蓮覚の長男。1527年8月13日死去。60歳。
- 7実乗(1490-1534):光恵。如覚の子。正室は蓮如末娘の妙宗。天文3年7月8日死去。45歳。
- 8証賢(1513-1589):純恵。院家となる。法印。天正17年7月7日死去。77歳。
- 9顕恵(1560-1613):佐恵。慶長18年4月8日死去。54歳。「常楽寺顕恵葬礼記」が残る。
- 10准恵():照栄(昭栄)。願行寺准賢の子(准賢も常楽寺に住したという説もある)。本願寺鎰役。願行寺、持専寺を兼務。妻は本願寺12世准如の娘。
- 11良覚():円信。
- 12
- 13寂恵(1653-1752)<>:願行寺を兼務。宝暦2年1月22日死去。100歳。宣休院と号す。
- 14住恵()<>:寂恵の養子。上田藩主松平忠周の子。鉄次郎。
- 法順(1746-1761)<>:本願寺17世の法如の子。闡耀。宝暦11年7月18日死去。16歳。帰真院と号す。
- 17法延()<1769-1784>:本願寺静如(除歴、1722-1796)の六子。闡舒。明和6年4月、常楽寺住職。天明4年11月引退。徳蔵院と号す。
- 18法音()<1784->:本願寺静如(除歴、1722-1796)の九子。闡琅。天明4年11月16日、得度して常楽寺住職。西乗院と号す。
- 今小路沢悟()<>:権少教正。
- 今小路覚尊(-1930-)<>:
- 24今小路覚瑞(1898-1977)<>:相愛女子短期大学学長。
- 25今小路覚真(1943-)<>:本願寺会行事。
資料
- 天金山常楽台家譜
- 大谷一流諸家分脈系図
- 1969「京都今小路常楽寺と越前との関係について」[1]