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キリスト教アルメニア使徒教会
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年3月7日 (月)
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- | * | + | *280年頃:アルメニア貴族末裔の聖グレゴリウス(240頃-322頃、開明者(啓蒙者))が[[カッパドキア]]で修行した後、帰国。 |
+ | *301年:グレゴリウス、アルメニア国王ティリダテス3世をキリスト教に改宗させた。アルメニアは世界初のキリスト教国家となる。 | ||
*303年頃:[[エチミアジン大聖堂]]創建。 | *303年頃:[[エチミアジン大聖堂]]創建。 | ||
- | * | + | *グレゴリウス、カッパドキアのカエサレア主教から主教に叙階される。ついでアルメニア国王から教会の首長カトリコスに任命される。 |
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*4世紀末:カッパドキアのカエサレア主教の管轄下から独立。 | *4世紀末:カッパドキアのカエサレア主教の管轄下から独立。 | ||
*406年:メスロプ・マシトツがアルメニア文字を考案。アルメニア語訳聖書が成立。 | *406年:メスロプ・マシトツがアルメニア文字を考案。アルメニア語訳聖書が成立。 | ||
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*1198年:カトリコスグリゴール6世、ローマ・カトリックとの合同を宣言。しかし支持を得られず。 | *1198年:カトリコスグリゴール6世、ローマ・カトリックとの合同を宣言。しかし支持を得られず。 | ||
- | * | + | *1199年:カトリコスが[[タルスス大聖堂]]で、国王に格上げされたレヴォン2世に戴冠。 |
*1293年:カトリコス座、シスに移転。 | *1293年:カトリコス座、シスに移転。 | ||
*1340年頃:エルサレムのアルメニア人地区の周囲に城壁を建てることが許可される。 | *1340年頃:エルサレムのアルメニア人地区の周囲に城壁を建てることが許可される。 | ||
*1375年:キリキア・アルメニア王国滅亡。以後、教会がアルメニア人のコミュニティの中心となり、カトリコスは国家元首にみなされる。 | *1375年:キリキア・アルメニア王国滅亡。以後、教会がアルメニア人のコミュニティの中心となり、カトリコスは国家元首にみなされる。 | ||
- | * | + | *1441年:カトリコス座の分裂。分裂の要因は諸説ある。カトリコスグリゴール9世はこの年引退し、キラコス1世が就任して[[エチミアジン]]にカトリコス座を移転。しかしグリゴール9世も引き続きシスでカトリコスを務めた。 |
- | * | + | *1461年:オスマントルコ帝国は、正教会の[[コンスタンティノープル総主教]]を牽制するためか、アルメニア使徒教会のコンスタンティノープル総主教座を設置した。 |
+ | *1740年:ローマカトリックの[[教皇]]ベネディクト14世、アブラハム・ピエール1世をシス大司教に任命。1742年、正式にアルメニアカトリック教会を設立。[[アルメニア典礼カトリック教会]]として別れる。 | ||
*1903年:ロシア帝国カフカス民政長官ゴリツィンが領内の教会の資産を没収。 | *1903年:ロシア帝国カフカス民政長官ゴリツィンが領内の教会の資産を没収。 | ||
- | * | + | *1915年:アルメニア人虐殺事件。シスのキリキアカトリコス座、コンスタンティノープル総主教座は大打撃を受けた。 |
*1930年:キリキアカトリコス座、レバノンのアンテリャスに移転。 | *1930年:キリキアカトリコス座、レバノンのアンテリャスに移転。 | ||
*1945年:バガルシャパト、エチミアジンと改称。 | *1945年:バガルシャパト、エチミアジンと改称。 |
2022年3月7日 (月) 時点における最新版
歴史
- 1世紀:伝承によると、使徒タダイと使徒バルトロマイがアルメニアに布教したという。
- 280年頃:アルメニア貴族末裔の聖グレゴリウス(240頃-322頃、開明者(啓蒙者))がカッパドキアで修行した後、帰国。
- 301年:グレゴリウス、アルメニア国王ティリダテス3世をキリスト教に改宗させた。アルメニアは世界初のキリスト教国家となる。
- 303年頃:エチミアジン大聖堂創建。
- グレゴリウス、カッパドキアのカエサレア主教から主教に叙階される。ついでアルメニア国王から教会の首長カトリコスに任命される。
- 4世紀末:カッパドキアのカエサレア主教の管轄下から独立。
- 406年:メスロプ・マシトツがアルメニア文字を考案。アルメニア語訳聖書が成立。
- 428年:アルメニア王国滅亡。
- 451年:カルケドン公会議に参加せず。
- 506年:教会会議、カルケドン信条の不採用を決議。
- 638年:正教会エルサレム総主教ソフロニウスが死去。その後任をアルメニア使徒教会が任命するようになった。断続的に現代まで続く。
- 1058年:カトリコス座、セルジューク朝の支配を逃れて小アジアのスィヴァスに避難。
- 1062年:カトリコス座、タフブロアに移転。
- 1080年:キリキア・アルメニア王国の前身が成立。キリキアには多くのアルメニア人が逃れていた。キリキアがアルメニア使徒教会の第二の拠点となる。
- 1149年:カトリコス座、転々としたのち、フロムクラに移転。
- 1198年:カトリコスグリゴール6世、ローマ・カトリックとの合同を宣言。しかし支持を得られず。
- 1199年:カトリコスがタルスス大聖堂で、国王に格上げされたレヴォン2世に戴冠。
- 1293年:カトリコス座、シスに移転。
- 1340年頃:エルサレムのアルメニア人地区の周囲に城壁を建てることが許可される。
- 1375年:キリキア・アルメニア王国滅亡。以後、教会がアルメニア人のコミュニティの中心となり、カトリコスは国家元首にみなされる。
- 1441年:カトリコス座の分裂。分裂の要因は諸説ある。カトリコスグリゴール9世はこの年引退し、キラコス1世が就任してエチミアジンにカトリコス座を移転。しかしグリゴール9世も引き続きシスでカトリコスを務めた。
- 1461年:オスマントルコ帝国は、正教会のコンスタンティノープル総主教を牽制するためか、アルメニア使徒教会のコンスタンティノープル総主教座を設置した。
- 1740年:ローマカトリックの教皇ベネディクト14世、アブラハム・ピエール1世をシス大司教に任命。1742年、正式にアルメニアカトリック教会を設立。アルメニア典礼カトリック教会として別れる。
- 1903年:ロシア帝国カフカス民政長官ゴリツィンが領内の教会の資産を没収。
- 1915年:アルメニア人虐殺事件。シスのキリキアカトリコス座、コンスタンティノープル総主教座は大打撃を受けた。
- 1930年:キリキアカトリコス座、レバノンのアンテリャスに移転。
- 1945年:バガルシャパト、エチミアジンと改称。
- 冷戦時代:アルメニアにソビエト政権が樹立すると、共産主義勢力に影響されたカトリコス座への警戒が増し、キリキアカトリコス座の勢力が拡大した。
- 2015年4月23日:虐殺事件の全犠牲者を列聖した。
聖地と聖堂
- エチミアジン大聖堂:エチミアジン。カトリコス座を置く。
- シス大聖堂:廃絶か。
- ショガカト教会
- スルブガヤネ教会
- リプシメ聖堂:エチミアジン。聖リプシマに奉献。
- アンテリャスのセントグレゴリウス大聖堂:レバノン。アンテリャス。キリキア総主教(カトリコス)座を置く。
- ヴァガルシャパトの聖母大聖堂
- ゲガルド修道院
- ホルヴィラップ修道院
- ノラヴァンク修道院
- マルマシェン修道院
- ナレック修道院
- エレバン大聖堂
- ズヴァルトノツ大聖堂:廃絶。
- エルサレムの聖ヤコブ大聖堂:イスラエルエルサレム。エルサレム総主教座。
- エルサレムの大天使教会:イスラエルエルサレム。
- 聖トロス教会:イスラエルエルサレム。
- (聖墳墓教会):イスラエルエルサレム。多教派で共同管理。
- (聖誕教会):パレスチナベツレヘム。多教派で共同管理。
- リヴィウのアルメニア大聖堂:ウクライナリヴィウ。
- ヴァーンク教会:イラン。エスファハーン。ジョルファ地区。
- 聖タデウス修道院:イラン。西アーザルバーイジャーン州
- 聖ステファノス修道院:イラン
- ゾルゾル教会:イラン
- アクダマル島:トルコ。バン湖に浮かぶ島。10世紀の教会遺構が残る。
- 聖ガレーベド教会:ヨルダン。イエスの洗礼の旧跡。
組織
それぞれが独立した組織を持っている。
- 全アルメニア教徒のカトリコス:最高総主教とも。
- キリキアカトリコス:キリキア総主教という表記もある。レバノンのアンテリャスに置く。キリキア聖座。キリキア大堂カトリコス庁。
- エルサレム総主教:
- コンスタンティノープル総主教: