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住吉神宮寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年4月5日 (水)
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+ | 本尊は薬師如来、[[十二神将]]、[[四天王]]。本尊は三韓より伝来の尊像で、「新羅寺」という寺院の仏頂を石櫃に収め、土中に収め秘仏とした(住吉勘文)。 | ||
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+ | *940年(天慶3年)11月21日:明達、勅命により[[藤原純友]]の調伏祈願として[[毘沙門天]]調伏法を行った。元亨釈書には937年(承平7年)11月21日とある。 | ||
+ | *1607年(慶長12年):[[豊臣秀頼]]の寄進で東塔・西塔を再建。 | ||
+ | *1619年(元和5年):護摩堂を建立。 | ||
+ | *1702年(元禄15年):護摩堂を神宮寺から神社側に移管。 | ||
+ | *明治初年:神仏分離で廃絶。西僧坊にあった今主社は移転して現存する。 | ||
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+ | *常行三昧堂:本尊は[[阿弥陀如来]]か。 | ||
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+ | *東塔:1607年(慶長12年)、豊臣秀頼の寄進で再建。廃絶。 | ||
+ | *西塔:1607年(慶長12年)、豊臣秀頼の寄進で再建。徳島[[切幡寺]]に移築され現存。 | ||
+ | *求聞持堂:本尊は[[虚空蔵菩薩]]か。 | ||
+ | *大日堂:本尊は[[大日如来]]か。 | ||
+ | *輪蔵: | ||
+ | *護摩堂:1702年(元禄15年)に神宮寺から神社側に所有を移された。現在の招魂社社殿。 | ||
+ | *今主社:祭神は津守国助。移転して住吉大社末社として現存する。 | ||
+ | *(読経所):第一本宮の回廊内の北側にあった。 | ||
+ | *(供養詰所):本殿の南側にあった。 | ||
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+ | *(奥天神観音堂):本尊は[[十一面観音]]。第四本宮の本地仏で、尊像は[[神功皇后]]が三韓征伐の時に乗船の帆材を使って刻んだものという。生根神社本殿の東にあった。神宮寺の社僧が法要を務めた。「中の観音」、「奥の観音」。廃絶。 | ||
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+ | ファイル:Kirihataji 07.JPG|切幡寺に移築された神宮寺西塔 | ||
+ | ファイル:住吉大社・神宮寺西塔・模型.JPG|神宮寺西塔模型 | ||
+ | ファイル:Sumiyoshi-taisha (36).jpg|住吉大社招魂社(旧護摩堂) | ||
+ | ファイル:住吉大社・招魂社-01.jpeg|住吉大社招魂社(旧護摩堂) | ||
+ | ファイル:住吉大社・招魂社-02.jpeg|住吉大社招魂社(旧護摩堂) | ||
+ | ファイル:住吉大社・境内社・今主社.jpeg|元は神宮寺西僧坊にあった今主社 | ||
+ | ファイル:Sumiyoshi-taisha (45).jpg|神宮寺社僧が奉仕していた生根神社 | ||
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+ | ==資料== | ||
+ | 1928『住吉村誌』[https://dl.ndl.go.jp/pid/1189974/1/247] | ||
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2023年4月5日 (水) 時点における最新版
神宮寺(じんぐうじ)は大阪府大阪市住吉区住吉(摂津国住吉郡)にあった天台宗寺院。本尊は薬師如来。住吉大社の神宮寺。本宮と大海神社の間にあった。廃絶。住吉神宮寺、新羅寺とも。津守寺・荘厳浄土寺と共に住吉三大寺と呼ばれた。寺領360石。寛永寺末だった。住吉大社関連旧跡。
目次 |
本尊
本尊は薬師如来、十二神将、四天王。本尊は三韓より伝来の尊像で、「新羅寺」という寺院の仏頂を石櫃に収め、土中に収め秘仏とした(住吉勘文)。 本尊は大日如来とも。
歴史
- 758年(天平宝字2年):高貴徳王菩薩(住吉大神の一所の本地という)の託宣により創建(古今著聞集)。
- 940年(天慶3年)11月21日:明達、勅命により藤原純友の調伏祈願として毘沙門天調伏法を行った。元亨釈書には937年(承平7年)11月21日とある。
- 1607年(慶長12年):豊臣秀頼の寄進で東塔・西塔を再建。
- 1619年(元和5年):護摩堂を建立。
- 1702年(元禄15年):護摩堂を神宮寺から神社側に移管。
- 明治初年:神仏分離で廃絶。西僧坊にあった今主社は移転して現存する。
伽藍
- 本堂:本尊は薬師如来。
- 常行三昧堂:本尊は阿弥陀如来か。
- 法華三昧堂:本尊は普賢菩薩か。
- 東塔:1607年(慶長12年)、豊臣秀頼の寄進で再建。廃絶。
- 西塔:1607年(慶長12年)、豊臣秀頼の寄進で再建。徳島切幡寺に移築され現存。
- 求聞持堂:本尊は虚空蔵菩薩か。
- 大日堂:本尊は大日如来か。
- 輪蔵:
- 護摩堂:1702年(元禄15年)に神宮寺から神社側に所有を移された。現在の招魂社社殿。
- 今主社:祭神は津守国助。移転して住吉大社末社として現存する。
- (読経所):第一本宮の回廊内の北側にあった。
- (供養詰所):本殿の南側にあった。
- (生根神社):神宮寺の社僧が奉仕した。
- (奥天神観音堂):本尊は十一面観音。第四本宮の本地仏で、尊像は神功皇后が三韓征伐の時に乗船の帆材を使って刻んだものという。生根神社本殿の東にあった。神宮寺の社僧が法要を務めた。「中の観音」、「奥の観音」。廃絶。
画像
資料
1928『住吉村誌』[1]