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衣奈八幡神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年11月26日 (日)
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+ | 『衣奈八幡縁起』によれば、応神天皇が紀伊水門に上陸したとき、岩守というものがこれを迎えて、この地に導いて行在所を建てたという。そして、応神天皇の胞衣を納めたという。860年(貞観2年)、その跡地に社殿を建立したのが衣奈八幡神社の創建とされる。石清水八幡宮の別宮として衣奈荘の鎮守にもなった。中世には湯川氏の崇敬を受けた。1585年(天正13年)に戦火により焼失、のち徳川頼宣が再建した。神宮寺の'''極楽寺'''ほか6坊があり、社家12、神子3、社僧20がいたという。社殿の傍らに'''胞衣塚'''がある。境内社として若宮八幡神社、武内宿祢神社などがある。(『和歌山県神社誌』) | ||
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2023年11月26日 (日) 時点における最新版
衣奈八幡神社は、和歌山県日高郡由良町衣奈(紀伊国日高郡)にある八幡宮。 応神天皇の胞衣塚があり、紀伊上陸のときの行在所の旧跡とされる。石清水八幡宮別宮で衣奈別宮とも。主祭神は「誉田別命、息長足姫命、比売大神」(『和歌山県神社誌』)。村社。
『衣奈八幡縁起』によれば、応神天皇が紀伊水門に上陸したとき、岩守というものがこれを迎えて、この地に導いて行在所を建てたという。そして、応神天皇の胞衣を納めたという。860年(貞観2年)、その跡地に社殿を建立したのが衣奈八幡神社の創建とされる。石清水八幡宮の別宮として衣奈荘の鎮守にもなった。中世には湯川氏の崇敬を受けた。1585年(天正13年)に戦火により焼失、のち徳川頼宣が再建した。神宮寺の極楽寺ほか6坊があり、社家12、神子3、社僧20がいたという。社殿の傍らに胞衣塚がある。境内社として若宮八幡神社、武内宿祢神社などがある。(『和歌山県神社誌』)