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普陀山・普済寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年11月18日 (土)
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+ | file:普済寺・円通宝殿001.jpg|円通宝殿 | ||
+ | file:普済寺・円通宝殿002.jpg|円通宝殿 | ||
+ | file:普済寺・円通宝殿003.JPG|円通宝殿 | ||
+ | file:普済寺・蔵経楼.JPG|蔵経楼 | ||
+ | file:普済寺・天王殿.jpg|天王殿 | ||
+ | file:普済寺・碑亭001.jpg|碑亭 | ||
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+ | file:普済寺・祖堂.jpg|祖堂 | ||
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==参考文献== | ==参考文献== | ||
*鎌田茂雄、昭和62年『中国四大霊山の旅』佼成出版社 | *鎌田茂雄、昭和62年『中国四大霊山の旅』佼成出版社 | ||
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2023年11月18日 (土) 時点における最新版
普済寺(ふさいじ)は、中国の観音霊場普陀山を代表する禅宗寺院。「普陀山第一の寺院」と呼ばれる。漢族地区仏教全国重点寺院。(参考:同名寺院普済寺)
もと前寺と言っていたが、康煕38年(1699)、皇帝の杭州行幸があったとき、「普済群霊」の額を下し、普済寺(普済禅寺)と呼ぶようになった。また乾隆帝が寺に行幸したとも言われる。大円通殿、天王殿、法堂などがある。現在の大円通殿は康煕帝・雍正帝の時代に勅命で建てられたもので、高さ6.5mの観音像が祀られている。多宝塔は元の元統年間(1333-35)宣譲王が孚中のために建立したもので太子塔ともいう。
参考文献
- 鎌田茂雄、昭和62年『中国四大霊山の旅』佼成出版社