ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
元興寺・御霊神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2017年11月11日 (土)
(版間での差分)
(?歴史) |
|||
(間の1版分が非表示) | |||
2行: | 2行: | ||
== 歴史 == | == 歴史 == | ||
- | 延暦19年(800)、[[五条・御霊神社]]から分霊して創建したと伝わる。南都に通じる三つの街道のうち、上つ道に[[早良親王]]、中つ道に[[井上内親王]]、下つ道に他戸親王を祀って御霊会が営まれていたという。最初は現在地より少し南にあり、跡地に[[元興寺・井上神社]]がある。宝徳3年(1451)、土一揆で元興寺伽藍と共に焼失。現在地に再建された。「夏は崇道天王を祭り、秋は井上内親王を祭り奉る」(吉備御霊祠奉加帳)とあるように[[崇道天皇社]]と共に南都二大御霊社とされた。七十余町の広範な氏子町を持つ。境内には[[菅原道真]]を祀る若宮社、祓戸社、出世稲荷神社がある。 | + | 延暦19年(800)、[[五条・御霊神社]]から分霊して創建したと伝わる。南都に通じる三つの街道のうち、上つ道に[[早良親王]]、中つ道に[[井上内親王]]、下つ道に他戸親王を祀って御霊会が営まれていたという。最初は現在地より少し南にあり、跡地に[[元興寺・井上神社|井上神社]]がある。宝徳3年(1451)、土一揆で元興寺伽藍と共に焼失。現在地に再建された。「夏は崇道天王を祭り、秋は井上内親王を祭り奉る」(吉備御霊祠奉加帳)とあるように[[崇道天皇社]]と共に南都二大御霊社とされた。七十余町の広範な氏子町を持つ。境内には[[菅原道真]]を祀る若宮社、祓戸社、出世稲荷神社がある。 |
(日本歴史地名大系、境内由緒書ほか) | (日本歴史地名大系、境内由緒書ほか) | ||
==祭神== | ==祭神== | ||
*本殿:井上皇后、他戸親王、[[事代主命]] | *本殿:井上皇后、他戸親王、[[事代主命]] | ||
- | * | + | *東社殿:早良親王、[[藤原広嗣]]、藤原大夫人 |
*西社殿:伊予親王、橘逸勢、文屋宮田麿 | *西社殿:伊予親王、橘逸勢、文屋宮田麿 | ||
(表記は境内由緒書による) | (表記は境内由緒書による) | ||
- | + | 事代主を合祀する由来は不明。祭神については各項目や[[御霊信仰]]を参照。現在は以上の9柱とするが、『南都名所集』や『八重桜』では[[吉備真備]]を含めており「木比御霊」の名もそれを連想させる。 | |
[[category:奈良県]] | [[category:奈良県]] |
2017年11月11日 (土) 時点における最新版
御霊神社(ごりょう・じんじゃ)は、奈良県奈良市にある御霊信仰の神社。祭神は井上内親王など9柱。元興寺鎮守。木比御霊とも呼ばれた。通称は南都御霊神社。村社。元興寺関連旧跡。
歴史
延暦19年(800)、五条・御霊神社から分霊して創建したと伝わる。南都に通じる三つの街道のうち、上つ道に早良親王、中つ道に井上内親王、下つ道に他戸親王を祀って御霊会が営まれていたという。最初は現在地より少し南にあり、跡地に井上神社がある。宝徳3年(1451)、土一揆で元興寺伽藍と共に焼失。現在地に再建された。「夏は崇道天王を祭り、秋は井上内親王を祭り奉る」(吉備御霊祠奉加帳)とあるように崇道天皇社と共に南都二大御霊社とされた。七十余町の広範な氏子町を持つ。境内には菅原道真を祀る若宮社、祓戸社、出世稲荷神社がある。 (日本歴史地名大系、境内由緒書ほか)
祭神
(表記は境内由緒書による)
事代主を合祀する由来は不明。祭神については各項目や御霊信仰を参照。現在は以上の9柱とするが、『南都名所集』や『八重桜』では吉備真備を含めており「木比御霊」の名もそれを連想させる。