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専想寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年8月19日 (日)
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2018年8月19日 (日) 時点における最新版
専想寺(せんそうじ)は大分県大分市森町にある浄土真宗寺院。九州最古の浄土真宗寺院という。本尊は阿弥陀如来。浄土真宗本願寺派。山号は龍華山。
歴史
大内氏出身の天然浄祐(1442-1506)が1476年(文明8年)に創建。天然浄祐は最初は臨済宗功山寺で出家して禅宗だったが、のち金戒光明寺で修行し浄土宗となり、1482年(文明14年)山科本願寺で蓮如に帰依して浄土真宗になった。蓮如から九州布教を命じられ、九州や中国一円を巡教した。1496年(明応5年)、蓮如は天然浄祐の伝道の功績をたたえて自筆名号100幅を与えた。天然浄祐の墓を天然塚という。1505年(永正2年)に本願寺実如が下付した本尊絵像には「興正寺門徒」とあり、京都・興正寺に属した時期もあったか。(日本歴史地名大系)