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杣山神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年5月5日 (日)
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神社の創建は不詳。木戸口の南東、「神明」の地にあった。1934年(昭和9年)、現在地にあった十五社を合併し、遷座した。 | 神社の創建は不詳。木戸口の南東、「神明」の地にあった。1934年(昭和9年)、現在地にあった十五社を合併し、遷座した。 | ||
1937年(昭和12年)11月県社(神道史大辞典)。 | 1937年(昭和12年)11月県社(神道史大辞典)。 | ||
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+ | (日本歴史地名大系、神社庁ウェブサイト) | ||
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2019年5月5日 (日) 時点における最新版
杣山神社(そまやま・じんじゃ)は福井県南条郡南越前町阿久和(越前国南条郡)の杣山城(八王子城)跡にある南朝ゆかりの霊社。祭神は瓜生保、新田義貞、天照皇大神、瓊々杵尊、沖津彦命、沖津姫命(神社庁ウェブサイト)。『日本歴史地名大系』では「瓜生保一族」とし、順序も異なる。『太平記』記載の飽和社(あくわのやしろ)の論社。県社。
歴史
杣山城は瓜生氏の居城。南北朝時代、恒良親王・尊良親王を奉じて新田義貞が金崎城に入るとこれを支援。1336年(延元1年/建武3年)瓜生保は援軍として出兵するが敦賀で戦死したという。
神社の創建は不詳。木戸口の南東、「神明」の地にあった。1934年(昭和9年)、現在地にあった十五社を合併し、遷座した。 1937年(昭和12年)11月県社(神道史大辞典)。 無格社から県社への異例の昇格は『太平記』に記載のある瓜生氏が挙兵した「飽和ノ社」と結び付けたためという。同社の論社は他に南条・鵜甘神社がある。 (日本歴史地名大系、神社庁ウェブサイト)