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金国寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年3月14日 (土)
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- | '''金国寺'''は三重県津市美杉町下多気にあった[[北畠家]] | + | '''金国寺'''は三重県津市美杉町下多気にあった[[北畠家]]ゆかりの[[曹洞宗]]寺院。山号は慶幸山または慶桑山。『沢氏古文書』から北畠材親の菩提寺と考えられている。 |
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+ | 『布留屋草紙』『背書国誌』に「金剛寺」とある。 | ||
1561年(永禄4年)時点には存在していた。 | 1561年(永禄4年)時点には存在していた。 | ||
+ | のち廃絶したが、小さな観音堂があり北畠家の菩提を弔っていたが1907年(明治40年)頃、廃絶となり、観音像は西向院に移された。 | ||
2018年(平成30年)から津市教育委員会が発掘調査を実施している。 | 2018年(平成30年)から津市教育委員会が発掘調査を実施している。 | ||
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2020年3月14日 (土) 時点における最新版
金国寺は三重県津市美杉町下多気にあった北畠家ゆかりの曹洞宗寺院。山号は慶幸山または慶桑山。『沢氏古文書』から北畠材親の菩提寺と考えられている。
『布留屋草紙』『背書国誌』に「金剛寺」とある。
1561年(永禄4年)時点には存在していた。 のち廃絶したが、小さな観音堂があり北畠家の菩提を弔っていたが1907年(明治40年)頃、廃絶となり、観音像は西向院に移された。
2018年(平成30年)から津市教育委員会が発掘調査を実施している。