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克軍寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年9月23日 (金)
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- | '''克軍寺'''(こくぐんじ)は香川県高松市西宝町(讃岐国香川郡)にある[[徳川家]]ゆかりの[[天台宗]]寺院。本尊は[[薬師如来]] | + | '''克軍寺'''(こくぐんじ)は香川県高松市西宝町(讃岐国香川郡)にある[[徳川家]]ゆかりの[[天台宗]]寺院。本尊は[[薬師如来]]。徳川将軍家歴代の位牌所。[[輪王寺宮]]の[[院室]]として「本門寿院」の号を与えられた。[[院室兼帯寺院]]。[[屋島東照宮]]の旧鎮座地。山号は巌松山。 |
- | * | + | *832年:[[円珍]]が創建。医王山延寿院金剛寺と称した。 |
*天正年間:戦火で焼失 | *天正年間:戦火で焼失 | ||
*1631年:高松藩主生駒高俊が外祖父の藤堂高虎の菩提を弔うために再興した。寺領40石を寄進。医王山閑松院克軍寺と称した。客殿に藤堂高虎束帯像を奉安した。 | *1631年:高松藩主生駒高俊が外祖父の藤堂高虎の菩提を弔うために再興した。寺領40石を寄進。医王山閑松院克軍寺と称した。客殿に藤堂高虎束帯像を奉安した。 | ||
+ | *1642年:松平頼重(水戸藩主徳川頼房の長男)が高松藩12万石に封じられる。[[高松松平家]]が成立。この時、[[天海]]筆の[[徳川家康]]御影を授与されたという(『日本歴史地名大系』)。 | ||
*1644年:山王社を創建。徳川家康を祀る。 | *1644年:山王社を創建。徳川家康を祀る。 | ||
- | * | + | *1651年:松平頼重が本堂など再建。徳川将軍家歴代の位牌を納めた。巌松山蓮門院と称した。 |
*1699年:輪王寺宮の院室となり、本門寿院の号を賜る。 | *1699年:輪王寺宮の院室となり、本門寿院の号を賜る。 | ||
*1855年:徳川家康御影を屋島神社に遷座。 | *1855年:徳川家康御影を屋島神社に遷座。 |
2022年9月23日 (金) 時点における最新版
克軍寺(こくぐんじ)は香川県高松市西宝町(讃岐国香川郡)にある徳川家ゆかりの天台宗寺院。本尊は薬師如来。徳川将軍家歴代の位牌所。輪王寺宮の院室として「本門寿院」の号を与えられた。院室兼帯寺院。屋島東照宮の旧鎮座地。山号は巌松山。
- 832年:円珍が創建。医王山延寿院金剛寺と称した。
- 天正年間:戦火で焼失
- 1631年:高松藩主生駒高俊が外祖父の藤堂高虎の菩提を弔うために再興した。寺領40石を寄進。医王山閑松院克軍寺と称した。客殿に藤堂高虎束帯像を奉安した。
- 1642年:松平頼重(水戸藩主徳川頼房の長男)が高松藩12万石に封じられる。高松松平家が成立。この時、天海筆の徳川家康御影を授与されたという(『日本歴史地名大系』)。
- 1644年:山王社を創建。徳川家康を祀る。
- 1651年:松平頼重が本堂など再建。徳川将軍家歴代の位牌を納めた。巌松山蓮門院と称した。
- 1699年:輪王寺宮の院室となり、本門寿院の号を賜る。
- 1855年:徳川家康御影を屋島神社に遷座。
- 1945年7月4日:高松空襲で焼失
- 1956年:本堂再建
(ウェブサイト)