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南都・鏡神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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[[ファイル:南都鏡神社-05.jpeg|thumb|500px|鏡神社本殿([[春日大社]]第三殿を1746年の造替の時に撤下移築したもの) ]] | [[ファイル:南都鏡神社-05.jpeg|thumb|500px|鏡神社本殿([[春日大社]]第三殿を1746年の造替の時に撤下移築したもの) ]] | ||
- | '''鏡神社'''は、奈良県奈良市高畑町にある[[藤原広嗣]]を祀る[[御霊信仰]]の神社。肥前国の[[鏡神社]] | + | '''鏡神社'''は、奈良県奈良市高畑町にある[[藤原広嗣]]を祀る[[御霊信仰]]の神社。肥前国の[[鏡神社]]の分社。祭神は[[天照皇大神]]、藤原広嗣公、[[地主神]]。[[新薬師寺]]の鎮守。 |
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+ | 740年、藤原広嗣は[[玄昉]]と[[吉備真備]]の排除を訴えて蜂起するが征討軍に討たれた。しかしその後、玄昉は勅勘をこうむり九州に左遷され急死。広嗣の怨霊の仕業だと噂された。吉備真備も肥前に左遷されたがこの時、鏡神社として広嗣の御霊を祀ったという。この肥前の鏡神社が玄昉の弟子の報恩によって[[福智院]]内に勧請されたのが南都鏡神社の創始という。御神像は天平10年大宰府で広嗣が自ら彫ったもので、受け取った平城京の夫人がこれを奉斎した。新薬師寺の復興の際に鎮守として現在地に遷座。現在地は広嗣の邸宅跡ともいう。 | ||
+ | *永禄年間:春日大社火災のとき、第一殿の御神体が一時避難奉遷されたという。 | ||
+ | *1746年頃:春日大社旧殿を移築して本殿とする | ||
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*本社:鏡神社: | *本社:鏡神社: |
2023年1月19日 (木) 時点における版
鏡神社は、奈良県奈良市高畑町にある藤原広嗣を祀る御霊信仰の神社。肥前国の鏡神社の分社。祭神は天照皇大神、藤原広嗣公、地主神。新薬師寺の鎮守。
740年、藤原広嗣は玄昉と吉備真備の排除を訴えて蜂起するが征討軍に討たれた。しかしその後、玄昉は勅勘をこうむり九州に左遷され急死。広嗣の怨霊の仕業だと噂された。吉備真備も肥前に左遷されたがこの時、鏡神社として広嗣の御霊を祀ったという。この肥前の鏡神社が玄昉の弟子の報恩によって福智院内に勧請されたのが南都鏡神社の創始という。御神像は天平10年大宰府で広嗣が自ら彫ったもので、受け取った平城京の夫人がこれを奉斎した。新薬師寺の復興の際に鎮守として現在地に遷座。現在地は広嗣の邸宅跡ともいう。
- 永禄年間:春日大社火災のとき、第一殿の御神体が一時避難奉遷されたという。
- 1746年頃:春日大社旧殿を移築して本殿とする