ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
四天王寺東照宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
(版間での差分)
30行: | 30行: | ||
</Gallery> | </Gallery> | ||
==資料== | ==資料== | ||
- | * | + | *竹下喜久男1978「四天王寺境内の東照宮」(『四天王寺聖徳太子奥殿建設に伴う発掘調査報告書』):未見 |
*2023『春季名宝展四天王寺東照宮と御霊屋ー徳川将軍家を祀る寺』 | *2023『春季名宝展四天王寺東照宮と御霊屋ー徳川将軍家を祀る寺』 | ||
[[category:大阪府]] | [[category:大阪府]] |
2023年4月20日 (木) 時点における版
四天王寺東照宮は大阪府大阪市天王寺区の四天王寺にあった東照宮。聖霊院の裏に位置した。用明殿に徳川家康を合祀したものという。江戸時代が終わると用明殿に戻った。神霊の消息は不明。遺構として唐門が南脇門として現存する。四天王寺関連旧跡。
- 1628年:日光東照宮の13回忌に四天王寺僧の通順が出仕。天海から「権現様御影」を五智光院に勧請するように命じられた。(1826年「御神影御尊号奉安置御由緒書」)
- 1632年:徳川秀忠の死去を受けて、位牌を五智光院に設けて家康の神影と間仕切りを設けた。(1826年「御神影御尊号奉安置御由緒書」)
- 1637年:毎月17日に「東照大権現御法楽法事」を行うように命じられた。(同年「御条制」)
- 1651年:徳川家光の死去を受け、位牌を五智光院に設け、法要には大坂城代らが列席したが、その際、家康の神影を位牌と同所に祀るべきでなくいずれ別の場所に遷座するようにと命じられ、そこで用明天皇宮に合祀することにした(1826年「御神影御尊号奉安置御由緒書」)。あるいは大坂町奉行の命令で、将軍家の法事を行うようになり、この時、家康神影と秀忠家光の「院号」を厨子と共に制作した(1682年「口上覚」)。この年の銘記がある大坂定番奉納の燈籠が本坊内に現存する。
- 1707年頃:『天王寺誌』成立。用明天皇宮や五智光院などの項目にも東照大権現関係に記述はなし。
- 1801年:遅くともこの頃には東照宮が用明天皇宮に合祀されていた。12月5日に五重塔に落雷があり、境内東半分が焼失したが、「用明天王社に御相殿」の東照大権現の御影は無事で仮遷座を行ったと報告している。
- 1813年:この頃に東照宮社殿建立。用明殿ではなく東照宮として認知されるようになったのはこれ以降だという。
- 明治初年:年代は不明だが東照宮御影は祭神から外されたとみられ、再び用明殿と呼ばれるようになる。
- 明治年間:本坊御成門として旧東照宮唐門を移築。
- 1945年:空襲で、旧東照宮社殿を焼失。
- 1952年:聖霊院唐門として本坊御成門(旧東照宮唐門)を移築。現存。
- 1978年:聖霊院奥殿の再建予定地を発掘調査。三つ葉葵の紋の瓦が多数出土した。
資料
- 竹下喜久男1978「四天王寺境内の東照宮」(『四天王寺聖徳太子奥殿建設に伴う発掘調査報告書』):未見
- 2023『春季名宝展四天王寺東照宮と御霊屋ー徳川将軍家を祀る寺』