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京城護国神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | '''京城護国神社'''(けいじょう・ごこく・じんじゃ)は、日本領朝鮮の京城府(現在の[[ソウル]])にあった[[招魂社]] | + | '''京城護国神社'''(けいじょう・ごこく・じんじゃ)は、日本領朝鮮の京城府(現在の[[ソウル]])にあった[[招魂社]]。廃絶。[[羅南護国神社]]とともに内地の[[指定護国神社]]に相当とされたようである。 |
+ | 例祭は4月30日と10月23日[https://dl.ndl.go.jp/pid/4428689/1/89]。石段が一部現存しているという。 | ||
==祭神== | ==祭神== | ||
江原道、咸鏡南道、咸鏡北道以外の戦没者を祀ったという。植民地朝鮮に本籍を置くものだけでなく、内地本籍者でも、朝鮮に居住したり、朝鮮近辺で戦死したりしたものは合祀の対象となった。[https://dl.ndl.go.jp/pid/3557699/1/56]。 | 江原道、咸鏡南道、咸鏡北道以外の戦没者を祀ったという。植民地朝鮮に本籍を置くものだけでなく、内地本籍者でも、朝鮮に居住したり、朝鮮近辺で戦死したりしたものは合祀の対象となった。[https://dl.ndl.go.jp/pid/3557699/1/56]。 | ||
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*1940年8月15日:整地始まる[https://dl.ndl.go.jp/pid/3557699/1/56] | *1940年8月15日:整地始まる[https://dl.ndl.go.jp/pid/3557699/1/56] | ||
*1940年10月26日:地鎮祭[https://dl.ndl.go.jp/pid/1760712/1/25]。写真[https://dl.ndl.go.jp/pid/3557701/1/5] | *1940年10月26日:地鎮祭[https://dl.ndl.go.jp/pid/1760712/1/25]。写真[https://dl.ndl.go.jp/pid/3557701/1/5] | ||
+ | *1943年10月20日:京城護国神社創立。[https://dl.ndl.go.jp/pid/4428689/1/89] | ||
*1943年11月17日:朝鮮総督府令348号(350?)で「護国神社例祭鎮座祭及合祀祭祭式及祝詞」を制定[https://dl.ndl.go.jp/pid/3557738/1/43][https://dl.ndl.go.jp/pid/1569827/1/3] | *1943年11月17日:朝鮮総督府令348号(350?)で「護国神社例祭鎮座祭及合祀祭祭式及祝詞」を制定[https://dl.ndl.go.jp/pid/3557738/1/43][https://dl.ndl.go.jp/pid/1569827/1/3] | ||
*1943年11月26日:鎮座祭[https://dl.ndl.go.jp/pid/1708339/1/120]。写真[https://dl.ndl.go.jp/pid/3557738/1/3] | *1943年11月26日:鎮座祭[https://dl.ndl.go.jp/pid/1708339/1/120]。写真[https://dl.ndl.go.jp/pid/3557738/1/3] |
2023年7月6日 (木) 時点における版
京城護国神社(けいじょう・ごこく・じんじゃ)は、日本領朝鮮の京城府(現在のソウル)にあった招魂社。廃絶。羅南護国神社とともに内地の指定護国神社に相当とされたようである。 例祭は4月30日と10月23日[1]。石段が一部現存しているという。
目次 |
祭神
江原道、咸鏡南道、咸鏡北道以外の戦没者を祀ったという。植民地朝鮮に本籍を置くものだけでなく、内地本籍者でも、朝鮮に居住したり、朝鮮近辺で戦死したりしたものは合祀の対象となった。[2]。
歴史
- 1939年(昭和14年)3月15日:内地の指定護国神社制度を発表
- 1939年(昭和14年)4月1日:内地の護国神社制度、施行。
- 1939年4月:護国神社奉賛会設立[3]。京城と羅南に設立を決める。
- 1940年8月15日:整地始まる[4]
- 1940年10月26日:地鎮祭[5]。写真[6]
- 1943年10月20日:京城護国神社創立。[7]
- 1943年11月17日:朝鮮総督府令348号(350?)で「護国神社例祭鎮座祭及合祀祭祭式及祝詞」を制定[8][9]
- 1943年11月26日:鎮座祭[10]。写真[11]