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興輪寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年8月27日 (日)
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| - | '''興輪寺'''(こうりんじ)は、韓国慶尚北道[[慶州市]]にあった[[朝鮮仏教|仏教]]寺院。新羅初の仏教寺院とされる。跡地は士亭洞説と沙正洞説がある。新羅時代の[[七処伽藍]] | + | [[ファイル:再建興輪寺001.jpg|thumb|500px|士亭洞の再建興輪寺。ここにある遺跡は興輪寺跡ではなく霊廟寺跡という説も有力視されている]] |
| + | '''興輪寺'''(こうりんじ)は、韓国慶尚北道[[慶州市]]にあった[[朝鮮仏教|仏教]]寺院。新羅初の仏教寺院とされる。跡地は士亭洞説と沙正洞説がある。新羅時代の[[七処伽藍]]の一つとされる。士亭洞説が長らく支持され、1980年代に同名寺院が再建されたが、慶州市沙正洞の慶州工業高校周辺が有力視されている。士亭洞の寺院遺跡は[[霊廟寺]]跡という説も有力視されている | ||
== 歴史 == | == 歴史 == | ||
2023年8月27日 (日) 時点における最新版
興輪寺(こうりんじ)は、韓国慶尚北道慶州市にあった仏教寺院。新羅初の仏教寺院とされる。跡地は士亭洞説と沙正洞説がある。新羅時代の七処伽藍の一つとされる。士亭洞説が長らく支持され、1980年代に同名寺院が再建されたが、慶州市沙正洞の慶州工業高校周辺が有力視されている。士亭洞の寺院遺跡は霊廟寺跡という説も有力視されている
歴史
法興王21年(534)に造営が始まり、真興王5年(544)2月落慶。