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敏達天皇陵
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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2011年8月22日 (月) 時点における版
「太子西山古墳」。大王陵としては、最後の前方後円墳という。欽明天皇皇后石姫皇女の陵墓として築かれ、のち息子である敏達天皇も同所に埋葬された。石姫皇女の陵は、「磯長原陵」となっている。(文久山陵図215)。江戸時代以前から、用明天皇陵・孝徳天皇陵・推古天皇陵・聖徳太子墓とともに敏達天皇陵として叡福寺が管理してきた(叡福寺蔵『慶長五年旧記』)。