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如意輪寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | + | 延喜年間に三好善行の弟の日蔵道賢が創建。金峰山寺の塔頭として満堂派([[真言宗]])に所属。律寺となり[[西大寺]]末となった。 | |
+ | 後醍醐天皇が吉野に[[行宮]]を置くと[[勅願寺]]とした。延元4年(1339)、天皇が崩御すると、如意輪寺の裏山に葬られた。正平2年(1346)12月27日、四條畷に向かう[[楠木正行]]らが参拝。南朝が滅びた後は衰退した。 | ||
江戸時代の慶安3年(1650)、文誉鉄牛が現在の本堂を再興し、[[浄土宗]]となった。幕末、文久の修陵で後醍醐天皇陵が整備された。 | 江戸時代の慶安3年(1650)、文誉鉄牛が現在の本堂を再興し、[[浄土宗]]となった。幕末、文久の修陵で後醍醐天皇陵が整備された。 |
2017年9月17日 (日) 時点における版
如意輪寺(にょいりんじ)は、奈良県吉野郡吉野町の吉野山にある、後醍醐天皇ゆかりの浄土宗寺院。本尊は如意輪観音。後醍醐帝の陵墓と御霊殿がある。また楠木正行の髻塚がある。塔尾山椿花院。浄土宗知恩院派。
歴史
延喜年間に三好善行の弟の日蔵道賢が創建。金峰山寺の塔頭として満堂派(真言宗)に所属。律寺となり西大寺末となった。 後醍醐天皇が吉野に行宮を置くと勅願寺とした。延元4年(1339)、天皇が崩御すると、如意輪寺の裏山に葬られた。正平2年(1346)12月27日、四條畷に向かう楠木正行らが参拝。南朝が滅びた後は衰退した。
江戸時代の慶安3年(1650)、文誉鉄牛が現在の本堂を再興し、浄土宗となった。幕末、文久の修陵で後醍醐天皇陵が整備された。
伽藍
本堂の他、御霊殿、多宝塔、経蔵。不動堂などがある。浄土宗寺院でありながら、阿弥陀如来以外を本尊にするのは珍しい。御霊殿には天皇自作の後醍醐天皇像を祀る。後醍醐天皇陵には世泰親王墓が付属する。陵墓は北向きに作られている。
参考文献
- 由緒書