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伯耆・大山寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | *1豪円(1535-1611)<>:大山寺中興。[[金山寺]]中興。伯耆出身。1535年(天文4年) | + | 本坊西楽院に住した。1710年(宝永7年)6月以後は[[滋賀院門跡]]が学頭を務め、留守居・代官が派遣された。西楽院を政庁とする学頭・留守居・代官・三学頭代という支配機構が成立。 |
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- | *3[[天海]] | + | *1豪円(1535-1611)<?-1611>:大山寺中興。[[金山寺]]中興。伯耆出身。1535年(天文4年)生。俗姓は中津尾。初名は円智。比叡山東塔西谷地福院、比叡山東塔習禅院に住す。1568年(永禄11年)頃金山寺住職に就任。大山寺に帰り西楽院に入り一山の実権を掌握。1594年(文禄3年)または1561年(永禄4年)に大山寺住職となり、伽藍復興に尽くす。大山寺座主とも称したか。1611年(慶長16年)死去。 |
- | *4胤海()<> | + | *(除歴)岩本院()<1611-1613>:豪円の弟子。一山僧侶から排斥され幕府から罷免される。 |
+ | *2久運(-1626)<1613->:延暦寺の僧。東塔東谷薬樹院に住したか。1613年(慶長18年)学頭就任。大山寺には常住せず。 | ||
+ | *3[[天海]](1536-1643)<1626->:1626年(寛永3年)学頭就任。大山寺には常住せず。妙浄院を留守居代官に命じた。 | ||
+ | *4胤海()<>:天海の直弟子。寛永寺学頭。延暦寺檀那院。寛永寺涼泉院を創建。羽黒山執行も務めた。 | ||
*5公侃()<1679-1689>:池田輝澄の六男。徳川家康の孫。[[樗谿神社]](鳥取東照宮)別当の大雲院の開山。寛永寺涼泉院に住す。1679年(延宝7年)から1689年(元禄2年)まで大山寺学頭。実成院と号す。 | *5公侃()<1679-1689>:池田輝澄の六男。徳川家康の孫。[[樗谿神社]](鳥取東照宮)別当の大雲院の開山。寛永寺涼泉院に住す。1679年(延宝7年)から1689年(元禄2年)まで大山寺学頭。実成院と号す。 | ||
*6最純()<>:寛永寺執当。 | *6最純()<>:寛永寺執当。 | ||
*7常然()<>: | *7常然()<>: | ||
- | *8実興()<-1710> | + | *8実興()<-1710>:寛永寺執当。寛永寺常照院。[[根津神社]]別当昌泉院。 |
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===歴代住職=== | ===歴代住職=== |
2018年5月9日 (水) 時点における版
大山寺(だいせんじ)は、鳥取県西伯郡大山町の伯耆大山にある天台宗寺院。天台宗延暦寺派別格寺。大神山神社の神宮寺。 鳥取県西伯郡大山町大山9。
組織
歴代学頭
本坊西楽院に住した。1710年(宝永7年)6月以後は滋賀院門跡が学頭を務め、留守居・代官が派遣された。西楽院を政庁とする学頭・留守居・代官・三学頭代という支配機構が成立。
- 1豪円(1535-1611)<?-1611>:大山寺中興。金山寺中興。伯耆出身。1535年(天文4年)生。俗姓は中津尾。初名は円智。比叡山東塔西谷地福院、比叡山東塔習禅院に住す。1568年(永禄11年)頃金山寺住職に就任。大山寺に帰り西楽院に入り一山の実権を掌握。1594年(文禄3年)または1561年(永禄4年)に大山寺住職となり、伽藍復興に尽くす。大山寺座主とも称したか。1611年(慶長16年)死去。
- (除歴)岩本院()<1611-1613>:豪円の弟子。一山僧侶から排斥され幕府から罷免される。
- 2久運(-1626)<1613->:延暦寺の僧。東塔東谷薬樹院に住したか。1613年(慶長18年)学頭就任。大山寺には常住せず。
- 3天海(1536-1643)<1626->:1626年(寛永3年)学頭就任。大山寺には常住せず。妙浄院を留守居代官に命じた。
- 4胤海()<>:天海の直弟子。寛永寺学頭。延暦寺檀那院。寛永寺涼泉院を創建。羽黒山執行も務めた。
- 5公侃()<1679-1689>:池田輝澄の六男。徳川家康の孫。樗谿神社(鳥取東照宮)別当の大雲院の開山。寛永寺涼泉院に住す。1679年(延宝7年)から1689年(元禄2年)まで大山寺学頭。実成院と号す。
- 6最純()<>:寛永寺執当。
- 7常然()<>:
- 8実興()<-1710>:寛永寺執当。寛永寺常照院。根津神社別当昌泉院。
歴代住職
- 大舘禅空:
- 大舘禅雄:自坊は洞明院