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青森市招魂堂
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | '''青森市祭招魂社'''は青森県青森市にあった[[招魂社]]。弘前市の[[青森県護国神社]] | + | '''青森市祭招魂社'''は青森県青森市にあった[[招魂社]]。弘前市の[[青森県護国神社]]とは別の神社。合浦公園にあった招魂堂と思われる。廃絶。拝殿が諏訪神社に移築されて現存している。 |
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+ | *1892年(明治25年):創建[http://www.aomori-jinjacho.or.jp/jinja/Tosei/sub_1a_027.html] | ||
+ | *1896年(明治29年)5月26日:日清戦争からの凱旋をあわせて合浦公園で臨時招魂祭を執行。神仏両式で実施。大谷法主が来訪。 | ||
+ | *1899年(明治32年)8月28日:常備艦隊来港に合わせて招魂祭を執行。 | ||
+ | *1900年(明治33年)8月12日:招魂祭を執行。秋期から夏期に変更[https://dl.ndl.go.jp/pid/763195/1/167]。 | ||
+ | *1901年(明治34年)9月10日:前日に入港した常備艦隊が招魂社を参拝[https://dl.ndl.go.jp/pid/763195/1/194]。 | ||
+ | *1902年(明治35年)4月30日:暴風雪霰で招魂堂の壁が破損[https://dl.ndl.go.jp/pid/763195/1/215]。 | ||
+ | *1903年(明治36年):柿崎千守(諏訪神社神職)から内陣区切りの寄付[https://dl.ndl.go.jp/pid/9672971/1/222] | ||
+ | *1905年(明治38年)6月1日:日本海海戦の勝利を祝って善知鳥神社から旗行列。招魂堂前で万歳三唱。[https://dl.ndl.go.jp/pid/9672971/1/266] | ||
+ | *1928年(昭和3年):田中勇三から修繕費200円寄付[https://dl.ndl.go.jp/pid/9672654/1/244]。 | ||
+ | *1949年(昭和24年):戦災で焼失した諏訪神社に拝殿を払い下げて移築[https://dl.ndl.go.jp/pid/9671325/1/127][http://www.aomori-jinjacho.or.jp/jinja/Tosei/sub_1a_027.html][https://dl.ndl.go.jp/pid/9583858/1/108]。 | ||
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2024年4月28日 (日) 時点における版
青森市祭招魂社は青森県青森市にあった招魂社。弘前市の青森県護国神社とは別の神社。合浦公園にあった招魂堂と思われる。廃絶。拝殿が諏訪神社に移築されて現存している。
- 1892年(明治25年):創建[1]
- 1896年(明治29年)5月26日:日清戦争からの凱旋をあわせて合浦公園で臨時招魂祭を執行。神仏両式で実施。大谷法主が来訪。
- 1899年(明治32年)8月28日:常備艦隊来港に合わせて招魂祭を執行。
- 1900年(明治33年)8月12日:招魂祭を執行。秋期から夏期に変更[2]。
- 1901年(明治34年)9月10日:前日に入港した常備艦隊が招魂社を参拝[3]。
- 1902年(明治35年)4月30日:暴風雪霰で招魂堂の壁が破損[4]。
- 1903年(明治36年):柿崎千守(諏訪神社神職)から内陣区切りの寄付[5]
- 1905年(明治38年)6月1日:日本海海戦の勝利を祝って善知鳥神社から旗行列。招魂堂前で万歳三唱。[6]
- 1928年(昭和3年):田中勇三から修繕費200円寄付[7]。
- 1949年(昭和24年):戦災で焼失した諏訪神社に拝殿を払い下げて移築[8][9][10]。