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神代三山陵
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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くだって平安時代の『延喜式』によると、京都[[文徳天皇陵]]の南側に遥拝所があったという。 | くだって平安時代の『延喜式』によると、京都[[文徳天皇陵]]の南側に遥拝所があったという。 | ||
2019年5月13日 (月) 時点における版
神代三山陵は神代三代の陵墓の総称。近代以降、天皇即位後に奉幣される。
歴史
ホホデミは記紀両方に記述がある。 ニニギ、ウガヤフキアエズの2代の陵墓について、古事記は何も語らないが日本書紀に記述がある。 くだって平安時代の『延喜式』によると、京都文徳天皇陵の南側に遥拝所があったという。
明治5年6月、明治天皇が鹿児島県に行幸した際、所在地が確定していないまま神代三山陵に奉幣。23日午前7時、行在所(第七高等学校造士館)から遥拝した。 明治6年2月15日、歴代山陵追祭を行うことが決まった時、神代三山陵についても追って定めることが達せられた。 そして明治7年7月10日、明治天皇は現在地3カ所に治定した。
昭和4年2月、即位式直後の昭和天皇は一代一度の儀として神代三山陵に奉幣することを仰出。 4月15日可愛山陵、4月17日高屋山上陵、4月19日吾平山上陵に勅使が参向し、奉幣された。
平成大礼の時も踏襲され、平成3年3月15日に可愛山陵、3月17日に高屋山上陵、3月19日に吾平山上陵に勅使が一代一度の奉幣を行った。 (2006鎌田純一『皇室の祭祀』)
一覧
- 可愛山陵:天津日高彦火瓊瓊杵尊の陵墓。鹿児島県薩摩川内市宮内。
- 高屋山上陵:天津日高彦火火出見尊の陵墓。鹿児島県霧島市溝辺町麓。
- 吾平山上陵:天津日高彦波〓武〓〓草葺不合尊の陵墓。鹿児島県鹿屋市吾平町上名。