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武蔵・無量寿寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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*[[無量寿寺中院|中院]]:仏地房とも。 | *[[無量寿寺中院|中院]]:仏地房とも。 | ||
*[[無量寿寺南院|南院]]:明治に廃絶。 | *[[無量寿寺南院|南院]]:明治に廃絶。 | ||
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2019年9月16日 (月) 時点における版
無量寿寺(むりょうじゅじ)は、武蔵国入間郡(埼玉県川越市小仙波町)にあった天台宗寺院。中世、関東天台宗の中心寺院であり、喜多院や寛永寺の前身といえる。檀林寺院で、仙波談所と呼ばれた。山号は星野山。(参考:同名寺院無量寿寺)
歴史
830年(天長7年)円仁が創建。1296年(永仁4年)尊海が中興し、1301年(正安3年)後伏見上皇から勅を得て関東天台宗の本山となったという。以後発展し580寺を従えた。1537年(天文6年)北条氏綱が川越城を攻めた兵火で焼失。1558年(永禄1年)、子院の中院が法流の伝授権を持ったことで有力寺院となり、一山寺院としての無量寿寺は崩壊したとみられる。近世、天海の活躍で、子院だった喜多院が延暦寺を超える有力寺院となった。
創建時に円仁が建てた川越・日枝神社は江戸城および皇居の鎮守となった赤坂日枝神社の元宮という。