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栄山神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | '''栄山神社''' | + | '''栄山神社'''は山口県山口市小郡下郷山手下にある[[招魂社]]。[[官祭招魂社]]。[[指定外護国神社]]。山手招魂場、小郡招魂社、小郡護国神社。[[山口大神宮小郷遥拝所]]の近くにある。 |
+ | 元は現在地から東北200mの古郷池そばの山際にあった。 | ||
小郷宰判の農民が組織した集義隊の戦死者13柱を祀ったのが始まり。多くは禁門の変と四境戦争での戦死者という。 | 小郷宰判の農民が組織した集義隊の戦死者13柱を祀ったのが始まり。多くは禁門の変と四境戦争での戦死者という。 | ||
昭和22年、現在地に遷座。昭和3年に建立された忠魂碑に隣接する。ただし墓碑は旧地に残された。 | 昭和22年、現在地に遷座。昭和3年に建立された忠魂碑に隣接する。ただし墓碑は旧地に残された。 |
2022年2月6日 (日) 時点における版
栄山神社は山口県山口市小郡下郷山手下にある招魂社。官祭招魂社。指定外護国神社。山手招魂場、小郡招魂社、小郡護国神社。山口大神宮小郷遥拝所の近くにある。
元は現在地から東北200mの古郷池そばの山際にあった。 小郷宰判の農民が組織した集義隊の戦死者13柱を祀ったのが始まり。多くは禁門の変と四境戦争での戦死者という。 昭和22年、現在地に遷座。昭和3年に建立された忠魂碑に隣接する。ただし墓碑は旧地に残された。 栄山神社と改称。のち小郷ゆかりの明治以降の戦没者350柱余りを合祀した。