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栄山神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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'''栄山神社'''は山口県山口市小郡下郷山手下にある[[招魂社]]。[[官祭招魂社]]。[[指定外護国神社]]。山手招魂場、小郡招魂社、小郡護国神社。[[山口大神宮小郷遥拝所]]の近くにある。
'''栄山神社'''は山口県山口市小郡下郷山手下にある[[招魂社]]。[[官祭招魂社]]。[[指定外護国神社]]。山手招魂場、小郡招魂社、小郡護国神社。[[山口大神宮小郷遥拝所]]の近くにある。
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元は現在地から東北200mの古郷池そばの山際にあった。『靖国神社誌』によると、1865年(慶応1年)7月の創設。しかし現在、社殿前にある灯籠には1864年7月19日銘がある。
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元は現在地から東北200mの古郷池そばの山際にあった。『靖国神社誌』によると、1865年(慶応1年)7月の創設。しかし現在、社殿前にある灯籠には1864年(元治1年)7月19日銘がある。
小郷宰判の農民が組織した集義隊の戦死者13柱を祀ったのが始まり。向かって左側に7基、右側に6基の墓碑が並ぶ。多くは禁門の変と四境戦争での戦死者という。
小郷宰判の農民が組織した集義隊の戦死者13柱を祀ったのが始まり。向かって左側に7基、右側に6基の墓碑が並ぶ。多くは禁門の変と四境戦争での戦死者という。
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天明2年、寛政6年再興銘のある鳥居が旧地にあるが、転用か。
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1782年(天明2年)、1794年(寛政6年)再興銘のある鳥居が旧地にあるが、転用か。
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明治8年6月、官祭招魂社となる。
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1875年(明治8年)6月、官祭招魂社となる。
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昭和22年、現在地に遷座。昭和3年に建立された忠魂碑に隣接する。ただし墓碑は旧地に残された。
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1947年(昭和22年)、現在地に遷座。1928年(昭和3年)に建立された忠魂碑に隣接する。ただし墓碑は旧地に残された。
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栄山神社と改称。のち小郷ゆかりの明治以降の戦没者350柱余りを合祀した。昭和52年10月、鳥居建立。
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栄山神社と改称。のち小郷ゆかりの明治以降の戦没者350柱余りを合祀した。1977年(昭和52年)10月、鳥居建立。
忠魂碑の他に日清戦争従軍記念碑、勲等記念碑がある。
忠魂碑の他に日清戦争従軍記念碑、勲等記念碑がある。
旧地にある墓碑は3本は折れたままで他も破損が激しい。
旧地にある墓碑は3本は折れたままで他も破損が激しい。
旧地の近くには三原屋事件殉難者墓もある。
旧地の近くには三原屋事件殉難者墓もある。
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[[Category:山口県]]
[[Category:山口県]]

2022年2月13日 (日) 時点における版

栄山神社と忠魂碑
栄山神社旧地に残る招魂墓碑

栄山神社は山口県山口市小郡下郷山手下にある招魂社官祭招魂社指定外護国神社。山手招魂場、小郡招魂社、小郡護国神社。山口大神宮小郷遥拝所の近くにある。

元は現在地から東北200mの古郷池そばの山際にあった。『靖国神社誌』によると、1865年(慶応1年)7月の創設。しかし現在、社殿前にある灯籠には1864年(元治1年)7月19日銘がある。 小郷宰判の農民が組織した集義隊の戦死者13柱を祀ったのが始まり。向かって左側に7基、右側に6基の墓碑が並ぶ。多くは禁門の変と四境戦争での戦死者という。 1782年(天明2年)、1794年(寛政6年)再興銘のある鳥居が旧地にあるが、転用か。 1875年(明治8年)6月、官祭招魂社となる。 1947年(昭和22年)、現在地に遷座。1928年(昭和3年)に建立された忠魂碑に隣接する。ただし墓碑は旧地に残された。 栄山神社と改称。のち小郷ゆかりの明治以降の戦没者350柱余りを合祀した。1977年(昭和52年)10月、鳥居建立。 忠魂碑の他に日清戦争従軍記念碑、勲等記念碑がある。 旧地にある墓碑は3本は折れたままで他も破損が激しい。 旧地の近くには三原屋事件殉難者墓もある。

http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%A0%84%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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