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西本願寺朝鮮別院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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'''西本願寺朝鮮別院'''は植民地朝鮮[[京城府]]若草町にあった[[浄土真宗]]寺院。[[真宗本願寺派]]。[[西本願寺]]の[[浄土真宗本願寺派の別院寺院|別院]]。 | '''西本願寺朝鮮別院'''は植民地朝鮮[[京城府]]若草町にあった[[浄土真宗]]寺院。[[真宗本願寺派]]。[[西本願寺]]の[[浄土真宗本願寺派の別院寺院|別院]]。 | ||
- | *1895年(明治28年) | + | *1894年(明治27年):西本願寺、加藤恵証・藤島了穏を派遣。 |
- | *1905年(明治38年) | + | *1894年(明治27年)12月:西本願寺、臨時部長の大洲鉄然が派遣。 |
- | *1906年(明治39年) | + | *1895年(明治28年)8月:西本願寺、[[釜山]]開教を始める。朝鮮布教の始まり(『朝鮮の都市』)。 |
- | *1907年(明治40年) | + | *1905年(明治38年):朝鮮駐剳軍軍隊布教師の依光俊照が京城の龍山(龍山元町2丁目73番地)の土地を入手。(『朝鮮の都市』) |
- | *1910年(明治43年) | + | *1906年(明治39年)1月:大内恵明が賛事長に、依光俊照が書記になり駐在。本堂庫裏建築に着手。(『京城府史』) |
- | *1912年(大正1年) | + | *1906年(明治39年)10月:開教総監として大谷尊宝(日野尊宝)が滞在。(『朝鮮の都市』) |
- | *1912年(大正1年) | + | *1906年(明治39年)11月17日:落成式。日韓の高官が参列した。(『京城府史』) |
- | *1912年(大正1年) | + | *1907年(明治40年)2月:韓国開教総監部を設置。(『朝鮮の都市』) |
- | + | *1907年(明治40年)4月:朝鮮人開教のための機関として巌常円をして小公洞に韓人教会を開設。のち大聖教会と改称。(朝鮮宗教史) | |
+ | *1907年(明治40年)9月:開教使松浦芳英、本山の命で京城に赴任し、長谷川町に本願寺出張所を設立。(仏教大辞彙) | ||
+ | *1910年(明治43年)9月20日:朝鮮開教総監部と改称。(『朝鮮の都市』) | ||
+ | *1910年(明治43年)11月:賛事長が大沼善隆から朝枝不朽に交代(朝鮮宗教史) | ||
+ | *1912年(大正1年)3月27日:朝鮮開教総監部を永楽町3丁目54番地に移転。旧地は龍山本誓寺となる。(『朝鮮の都市』) | ||
+ | *1912年(大正1年)3月27日:若草町に本堂、庫裏、書院を建設。(『朝鮮の都市』) | ||
+ | *1912年(大正1年)8月:仮本堂新築(仏教大辞彙) | ||
+ | *1912年(大正1年)10月4日:朝鮮別院と称す。(『朝鮮の都市』。『大谷派近代年表』では9日[https://dl.ndl.go.jp/pid/971120/1/82]、日本社寺大観では14日[https://dl.ndl.go.jp/pid/1145546/1/475]) | ||
+ | *1915年(大正4年):京城仏教日曜学校を設立。[https://dl.ndl.go.jp/pid/1028228/1/107] | ||
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+ | ==組織== | ||
+ | ===朝鮮開教総監部・開教総監=== | ||
+ | *大谷尊宝 | ||
+ | *大谷尊由 | ||
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+ | ===輪番=== | ||
+ | *松原含蔵 | ||
+ | *後藤澄心 | ||
+ | *岡部宗城 | ||
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+ | ==資料== | ||
+ | *1911『朝鮮宗教史』[https://dl.ndl.go.jp/pid/995136/1/85] | ||
+ | *1922『仏教大辞彙』[https://dl.ndl.go.jp/pid/946043/1/165] | ||
+ | *1931『朝鮮の都市』[https://dl.ndl.go.jp/pid/1191157/1/42] | ||
+ | *1936『京城府史』[https://dl.ndl.go.jp/pid/1921032/1/579] | ||
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2023年6月22日 (木) 時点における版
西本願寺朝鮮別院は植民地朝鮮京城府若草町にあった浄土真宗寺院。真宗本願寺派。西本願寺の別院。
- 1894年(明治27年):西本願寺、加藤恵証・藤島了穏を派遣。
- 1894年(明治27年)12月:西本願寺、臨時部長の大洲鉄然が派遣。
- 1895年(明治28年)8月:西本願寺、釜山開教を始める。朝鮮布教の始まり(『朝鮮の都市』)。
- 1905年(明治38年):朝鮮駐剳軍軍隊布教師の依光俊照が京城の龍山(龍山元町2丁目73番地)の土地を入手。(『朝鮮の都市』)
- 1906年(明治39年)1月:大内恵明が賛事長に、依光俊照が書記になり駐在。本堂庫裏建築に着手。(『京城府史』)
- 1906年(明治39年)10月:開教総監として大谷尊宝(日野尊宝)が滞在。(『朝鮮の都市』)
- 1906年(明治39年)11月17日:落成式。日韓の高官が参列した。(『京城府史』)
- 1907年(明治40年)2月:韓国開教総監部を設置。(『朝鮮の都市』)
- 1907年(明治40年)4月:朝鮮人開教のための機関として巌常円をして小公洞に韓人教会を開設。のち大聖教会と改称。(朝鮮宗教史)
- 1907年(明治40年)9月:開教使松浦芳英、本山の命で京城に赴任し、長谷川町に本願寺出張所を設立。(仏教大辞彙)
- 1910年(明治43年)9月20日:朝鮮開教総監部と改称。(『朝鮮の都市』)
- 1910年(明治43年)11月:賛事長が大沼善隆から朝枝不朽に交代(朝鮮宗教史)
- 1912年(大正1年)3月27日:朝鮮開教総監部を永楽町3丁目54番地に移転。旧地は龍山本誓寺となる。(『朝鮮の都市』)
- 1912年(大正1年)3月27日:若草町に本堂、庫裏、書院を建設。(『朝鮮の都市』)
- 1912年(大正1年)8月:仮本堂新築(仏教大辞彙)
- 1912年(大正1年)10月4日:朝鮮別院と称す。(『朝鮮の都市』。『大谷派近代年表』では9日[1]、日本社寺大観では14日[2])
- 1915年(大正4年):京城仏教日曜学校を設立。[3]
目次 |
組織
朝鮮開教総監部・開教総監
- 大谷尊宝
- 大谷尊由
輪番
- 松原含蔵
- 後藤澄心
- 岡部宗城